検事調べ
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平成16年2月24日、その日は一日検事調べだった。
朝9時に東警察署を出て検察庁に向かい、留置場へ帰ってきたのは、夜の7時を過ぎていた。途中、昼食や昼の休憩はあったものの、実に長い取調べである。同行した警察官が、あまりの長さに愚痴をこぼしていたほどである。
昨日、O弁護士が面会に来たとき、私は、明日は検事調べだと伝えていた。
彼は、以前申し立てた準抗告の棄却理由の注目事項に触れ、
「8:2か7:3ぐらいの確率で不起訴だと思うが、くれぐれも対応には気をつけるように」
と、言った。
検察官も人間である。取調べの際に、口の利き方や態度が悪いと、何でもない事件でも、売り言葉に買い言葉で起訴してくることもあるから、気をつけたほうがいい、と言うのである。
「中途半端な不起訴より、裁判で白黒つけた方が物事の真相がはっきりして、いいのではないでしょうか」
と、私は言った。
前回行われた検事調べの雰囲気から、起訴される可能性が高いと感じていた私の強がりでもあった。
「そうは言うけど、仕事を持って刑事裁判一つ抱えると、ほんとに大変だよ」
そう言って、O弁護士は、取調べ時の対応には、極力注意するようにと繰り返し言っていた。
その日の検事調べが長くなったのは、勾留期限が迫っていたことによる。
9日間の勾留延長が2月18日になされたので、27日までに起訴しなければ、私を釈放しなければならない。
検察としては、あまり悠長に構えていられなくなったのだろう。事件全体の取調べに関する供述調書の作成を、今日一日で終わらせようとしていた。
私の性格を気遣ってか、O弁護士は口の利き方や態度に注意するように言っていたので、細かいことはできるだけ逆らわないよう留意した。が、事件の核心部分については、事実を曲げることはしなかった。
検察官の性格が性格だけに、事実を貫くことも大変だが、たとえどんな拷問を受けても、事件の核心部分をねじ曲られることは私の性格が許さなかった。
当初、竹山孝財務事務官(特別国税調査官)や河地隆雄財務事務官(特別国税調査官)らの供述内容が全くわからなかったが、警察や検察の取調べを通じて、断片的ながら徐々にそれがわかっていった。
竹山、河地両財務事務官は、二人で口裏を合わせて虚偽の事実を作っていた。
1月23日の調査結果の説明の際、応接室で向かい合って話していると、機嫌を損ねた私が、
「お前らは、いい加減だ」
と言って、ソファーに座ったまま、いきなり持っていたカメラでバシャバシャと両名の写真を撮りだした。
二人で制止すると、一旦は撮影をやめたが、また写真を取り出したので、竹山財務事務官は、写真の撮影をさけるため、席を立って応接ソファーの東横まで移動した。移動したのは写真撮影を避けるためで、撮影をやめればまた元の席に戻って調査結果の説明をするつもりだった。
その後、私が怒鳴りまくり、携帯電話の番号の件でもめると、怒号しながら4本ないし6本のカセットテープを竹山財務事務官目がけて投げつけてきた。そして、カセットテープを投げつけると同時に、殴りかかろうとしてつかつかと竹山財務官に突進して行った、というものである。
検事調べでは、両財務事務官の供述との違いを厳しく追求してきたが、彼らが嘘を言っているので、正しく訂正して供述し、事実をありのまま調書に記載させた。事件の核心以外の細部では、あまり反論しなかったので、ところどころ事実と違っている部分もあったがたいしたことではなく、概ね満足のいく調書になったと思った。
ただ、竹山財務事務官が、応接室から玄関に通ずる事務室の方へ出て行ったときの姿勢の説明に、一つ問題があったのである。
応接室から出て行くときの姿勢など、本件の被疑事件に関しては大して重要なことではない。そう思って私は何の注意も払わなかった。
小池検事が、
「竹山財務事務官は、半身の姿勢で出て行ったのだな」
と、半身の表現にひどくこだわっていたが、私にはこの半身の意味がよくわからなかった。
どうでもいいことに思えたし、長時間の取調べで疲れてもいた。
私は、注意も払わず、小池検事の言うままにその表現で供述調書に記載させたが、実はこの半身の表現が、彼ら国家権力が仕組んだ本件事件の要だったのである。
その時は、そんなことには全く気付きもしなかった。それがわかったのは、後日のことである。
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