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留置

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平成16年2月7日、公務執行妨害罪の容疑で逮捕状が執行され、私は留置された。

名古屋簡易裁判所に損害賠償請求訴訟を提起したのは2月2日であるが、その訴状のコピーが寺沢辰麿国税庁長官や竹田正樹名古屋国税局長らに配達されたのは、翌2月3日である。
警察が私を逮捕しに来たのは2月5日であるから、実に2日しか経っていない。今まで抗議の請願書等を何度送ってもただの一度も反応を見せなかったのが、今回は驚くほど反応が早かった。
ついに、権力が牙を剥いてきたのだ。それは裏を返せば、彼らもそれだけ追い詰められ、あせりを覚えた証拠でもあると言えよう。

当日は、身体検査や身上調査だけで取調べは終わった。事件に関する取調べは明日以降のようだ。

その日、中警察署の留置場は定員いっぱいで新しい被疑者を収容できないため、私は取調べの後、東警察署に移送され、そこの留置場に預かりという身分で収容された。

近年、犯罪が急増したため、どこの警察署の留置場も定員オーバーの状態で、被疑者を方々の警察署の留置場に手分けして収容している。各房へ収容する人数も、一人房の部屋に二人、二人房の部屋には三~四人ずつ詰め込んでいる状態だ。
警察署の留置場だけでなく、拘置所や刑務所も常に定員オーパーの状態で、起訴されても先が詰まっている関係から、拘置所に移送されずにそのまま代用監獄として留置場に据え置かれる場合が多い。東警察署にも、起訴後もそのまま3~4ヶ月留置されている被告人が数人いた。

私が収容された部屋は一人房であるが、先にU氏が収容されていた。U氏も北警察署からの預かりである。見た目は私より5つほど年上に見えたが、実際の年齢は私より5つほど下だった。彼もそう思ったらしい。私が若く見えるせいもあるが、彼が老けて見えるせいもあるのかもしれない。

3時頃、さっそく弁護士のO氏が面会に来た。
身柄を拘束されると、先行きの不安から、やたら人に会いたくなる。手足をもぎ取られ、自分では何もできなくなった弱気な気持ちが、依存心を強くさせるのだろう。特に、起訴されるまでは、ほとんど例外なく接近禁止になっているから、弁護士以外面会はできない。
周りがすべて敵という状態に置かれるから、接点を持てる唯一の味方は弁護士だけである。ひと時の気休めでも、外界の空気に触れ、自分の意見を聞いてもらえる弁護士の面会は、実にありがたかった。

無味乾燥なコンクリートの壁に囲まれた薄暗い留置場での生活は、気が遠くなるほど時間が長く感じられた。
何日持つ。自問してみた。初日から弱気の虫が出てくるようでは、先が思いやられる。
ええーい!
いろんなことがあったような気がしたが、今日は何も考えないようにした。疲れもあったせいか、その夜は、深い眠りに陥った。

翌日、同房のU氏が、
「こんなところでよく寝れるけんね、いびきをかいておられて。私なんぞ、ぜんぜん寝れませんわ」
と、言っていた。

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コメント

すごい! あなたは、えらい! がんばってください。心から、応援しています。

投稿: 司法書士 久保徳高~く・ぶろぐ | 2006年9月21日 (木) 06時47分

応援ありがとうございます。

投稿: 管理人半兵衛 | 2006年9月21日 (木) 08時03分

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