三井元大阪高検公安部長の判決と検察の責任
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検察の調査活動費の流用疑惑を告発した元大阪高検公安部長三井環氏の控訴審判決が15日、大阪高裁であった。
公費流用疑惑を告発の大阪高検元公安部長、二審も実刑(asahi.com 2007年01月15日12時44分 キャッシュ)
当該事件に関しては、私は、検察の責任という1点に絞って意見を述べたい。
若原正樹裁判長は「被告には検察官の職務に関連した接待だという認識があった」と判断して、一審・大阪地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却したが、「被告が高知、高松両地検で次席検事だった頃に直接体験した限度で、調活費の不正流用があった」と、検察の公費流用の一部を認定している。
また、「一方で、検察庁幹部の私的な飲食費や遊興費などに調活費が流用されたとする疑惑が表面化した99年度以降、調活費が大幅に減額していることを挙げ、調活費の本来の目的、必要性には疑問が生じる」と指摘している。
三井氏が、「検察の調査活動費(調活費)の流用疑惑を公表しようとしたことへの口封じのための逮捕、起訴だった」と無罪を主張していたため、今回の判決結果も、冤罪かどうかに関心が置かれ、肝心の検察の責任問題がぼけてしまっている観がある。
まず、三井氏が有罪であっても、検察の調査活動費の流用疑惑を裁判所が認めたのだから、検察としては当然その責任を負わねばなるまい。
組織ぐるみの調活費流用は、国民の税金の横領という犯罪行為であり、許されるべき行為ではない。三井氏の有罪、無罪にかかわらず、厳しく追及されなければならない問題である。
調活費流用疑惑が表面化した99年度以降、調活費が大幅に減額しているという事実は、検察自身もその事実を認めている証拠でもある。
が、それを自ら公表せず、表面化した後に調活費を大幅に減額するというのは、なしくずしにうやむやにするずるいやり方であり、事実を明らかにして謝罪し、責任を取るという謙虚な対応ではない。
不正行為による責任問題は、関心をほかへそらし、先送りして曖昧にしてしまうというのが、官僚の常套手段である。
調活費の流用疑惑を公表しようとした三井氏を逮捕、起訴したのは、三井氏のいう「口封じのための逮捕、起訴」というよりも、三井氏個人の収賄罪等に世間の関心をそらし、時間を稼いで責任をうやむやにするのが目的だと思う。
有罪であれ、無罪であれ、この種の事件では決着するまでに5年~10年はかかる。
たとえ、事件のでっち上げが証明され、三井氏が無罪になっても、その頃には疑惑発覚当時の張本人はいないのだ。
転勤か、退職か、天下りかで、責任を追及しようにも、肝心の本人がいなくなってしまっている。時効が成立している可能性もある。
官僚の場合は、先送りに必要な人員は組織の人間を使い、費用は国民の税金を使えるから、裁判が長引けば長引くほど有利になる。自費で貴重な自分の時間を犠牲にして闘う個人とは、本質的に違うのだ。
世論、マスコミは、そういった検察官僚の汚いやり方に惑わされてはならない。仮に一部でも、二審で調活費の流用疑惑が認定された以上、今こそ、躊躇なく、検察の責任を追及しなければならないのである。
もう一つ、世間が見落としている点がある。
三井氏が有罪になったということは、調活費の流用疑惑以外の責任が、検察に発生してくるという点である。
高検の現職公安部長が収賄等の犯罪事件を起こしたということは、その直属の上司や検事総長の指導監督責任も、当然免れ得ないものになってくる。
市や県の自治体で収賄罪で職員が有罪になれば、直属の上司や市長、知事等も何らかの責任を負わねばならない。懲戒の軽重はあるものの、現実に、何らかの責任は取らされている。
検察であれば、収賄罪で有罪になっても、上司らは何ら責任を負わなくてもよいのか。
むしろ、犯罪者を取り締まる検察官の犯罪のほうが、より深刻な問題であり、監督者の責任も、より重大な問題といえるのではないだろうか。
この点についても、世間、マスコミがほとんど取り上げていないのが、私には不思議でならない。
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