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民事控訴審判決のお知らせ

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本日1月
31日午後3時30分より、名古屋高等裁判所で判決があります。

国税職員の責任を追及した国家賠償訴訟の控訴審判決です。詳細は、昨日の記事をご覧ください。


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「つぼ割ったのは国が悪い」:民事控訴審判決期日

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明日1月31日、午後3時30分に、名古屋高等裁判所で判決がある。
名古屋中税務署の調査官が私の事務所のつぼを割ってそのまま逃げた事件で、国に損害賠償を求めた民事事件の控訴審判決である。


私は一審でつぼ代5万円と慰謝料15万円の計20万円の賠償を求めた。
国側は、私が国税の調査官に向かってカセットテープを投げつけ、掴みかからんばかりに迫ってきたため、それを避けようとして割ってしまったのだと嘘をつき、正当防衛を主張して、賠償義務はないと争ってきた。


一審判決は、下記の新聞記事のとおり、国税調査官の供述に信用性を認めず税局側の主張する正当防衛の成立を否定してつぼ代5万円の請求を認めた。

但し、慰謝料は次の理由で排斥された。

「上記(4)判示のとおり竹山が原告の事務所の本件壺を損壊した行為は国家賠償法上違法であるが、竹山がその場で本件壺を割ったことににつき原告に謝罪しなかったり、その後の原告の抗議に対して何らの対応もしなかったことは、道義的に非難されるものではあったとしても、そのような事後の不誠実な対応自体が、本件
壺の損壊とは
独立した違法行為となるものではない。


P1300054P1300053
争点(6)(損害額)
原告本人の尋問結果及び弁論の全趣旨によれば、本件壺の価格は5万円と認められるから、本件壺の損壊に係る原告の損害は5万円と認めるのが相当である。


P1300056_1P1300055_5なお、原告は、竹山が本件壺を損壊した行為に係る慰謝料も請求しているが、本件壺の損壊による財産的損害が回復されることで、原告の精神的苦痛も慰謝されると解するのが相当であり、争点(5)で原告が主張する竹山から謝罪がなされていないことを考慮に入れてもなお、上記慰謝料の請求には理由がないと言うべきである」
 


「つぼ割ったのは国が悪い

国税調査官側の正当防衛認めず  名地裁、5万円賠償命令

税務調査に来た名古屋国税局の特別国税調査官が自宅のつぼを割ったとして、愛知県○○市の不動産鑑定士の男性が国を相手取り、20万円の国家賠償を求めた訴訟で、名古屋地裁は20日、国に5万円の支払いを命じた。つぼが割れた原因を巡って2年以上にわたって争ってきたが、渡辺修明裁判長(清水研一裁判長代読)は、国税局側が主張する正当防衛の成立を否定した上で、「公権力の行使に当たって損害を与えた」などと認定した。

訴えによると、調査官2人が04年1月23日、税務調査のため、鑑定士宅を訪問した際、課税方法などを巡って口論となった。鑑定士がソファにあったカセットテープを調査官に向かって投げつけたため、調査官が退出しようとしたところ、手に持っていた何かが電話台の上のつぼに触れ、落下したつぼが割れた。

鑑定士側は「調査官が腹いせに、故意か過失で割った」と主張。国税局側は「鑑定士が迫ってきたので逃げる際に割れた」と反論した。渡辺裁判長は「『つかみかからんばかりに迫っていた』などという正当防衛を基礎付ける事実は調査官の供述からは認められない」と結論付けた。

名古屋国税局の話 判決内容は詳細に承知していないが、国側の主張の一部が認められなかったのは大変残念である
                     2006年7月21日毎日新聞


この民事訴訟は、本事件の原点である。
名古屋中税務署の竹山孝財務事務官(特別国税調査官)が、私の事務所のつぼを割っておきながら、謝罪も弁償もせずそのまま逃げ帰った。

その責任を追及するため、本件民事訴訟を提起したところ、何と、その3日後に、いきなり警察が公務執行妨害の濡れ衣で、私を逮捕しに来たのである。

一審の刑事裁判は、竹山財務事務官らの供述の信用性が高いとして、平成18年2月27日に懲役6ケ月、執行猶予3年の有罪判決を下したが、民事の判決はその刑事裁判の判決後の7月20日に、それと異なる事実認定をして国側の責任を認めたのである。
この意義は大きい。

上記民事事件で、国側は4万円の担保を供託し、仮執行宣言付判決の強制執行の停止まで申し立てて、控訴してきた。悪あがきと嫌がらせである。

そのため、私はそれに対抗するため、着手金90万円を弁護士に支払って応訴している。

控訴審では、この弁護士への着手金90万円を上乗せして付帯控訴しているが、仮に、この着手金のいくらかが損害額として認められても、認められた額全額を弁護士報酬として支払う取り決めになっているので、私としては勝ち負けに関係なく、金銭的には損害額が膨らむだけの結果となる。

ただ、刑事の控訴審も、平成18年11月27日に、罰金50万円の一応有罪ながら、竹山財務事務官らの供述は全く信用できないとして、一審判決を破棄する判決を下しているから、もはや民事訴訟の結果が覆ることはありえまい。

ひとつ心配なのは、付帯控訴で上乗せした90万円の着手金相当の損害額が減額され、ないしは全く認められなかった場合である。
損害額がいくらであっても、私の経済的な損得は変わらないが、一審判決の新聞記事にもあるように、

「国側の主張の一部が認められなかったのは大変残念」
などと、あたかも勝訴し、国側に責任がないような言い方で逃げられることが心配だということである。


一審の判決結果は、毎日新聞だけでなく、読売新聞、中日新聞も報道している。が、いずれも国側からの情報のみを拠り所にしているため、どうしても真実と微妙にニュアンスが異なる観は否めない。

マスコミ各社に注意を促したいところである。

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冤罪による服役男性への謝罪と自白の真相

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1月19日に強姦の冤罪で服役した男性の無実が判明したニュースがあったが、その男性がなぜ無実の罪を自白するに至ったのか。


富山県警誤認逮捕の男性「身内が認めたと迫られ自白」

富山県警が2002年、同県氷見市の男性(39)を婦女暴行容疑などで誤認逮捕した冤罪(えんざい)事件で、男性が読売新聞の取材に、無実の罪を自白するに至った経緯を初めて語った。

男性によると、取り調べは、任意同行を求められた02年4月8日から始まり、「『身内の者が間違いないと言っている』と何度も告げられ、やっていないと言っても信用されるわけがないと思った。言われるままに認めざるを得ない状況だった」と話した。その上で、「身内までも僕のことを信用していないんだと思った。気が抜けたようになってしまった」と語った。男性は3回目の聴取で自白に追い込まれた。

さらに、「『うん』か『はい』以外に言うな。『いいえ』という言葉を使うなと言われた」とし、「今からいう言葉を一切覆しません」とする念書も書かされ、署名、指印させられたとも語った。被害者宅に押し入った手口も「酒屋を装って電話をかけたんじゃないかと言われ、同意させられた」とした。
                   1月26日16時59分読売新聞


『身内の者が間違いないと言っている』と何度も告げられ、さらに、「『うん』か『はい』以外に言うな。『いいえ』という言葉を使うなと言われた」とし、「今からいう言葉を一切覆しません」とする念書も書かされ、署名、指印させられた、という。

これは、不当な取調べというより、違法な取調べであり、刑法第193条の職権濫用罪に該当する犯罪行為というべきである。
そのような犯罪行為に対するけじめは、どうするのか。


<えん罪強姦>県警本部長、男性に直接謝罪 就職先紹介も

富山県警が強姦(ごうかん)容疑などで逮捕した男性(39)が服役後に無実と分かった問題で、県警の安村隆司本部長と小林勉刑事部長が今月26日、男性に直接謝罪し、就職先の紹介など生活支援をする意向を伝えていたことが分かった。小林刑事部長は「組織としてのけじめ」としている。県警は捜査幹部が23日にも男性に謝罪している。

事件は県内で02年1~3月に発生。男性は任意の事情聴取に容疑を否認したが、その後、認めたため逮捕された。公判でも起訴事実を認め、同年11月に懲役3年の実刑判決を受け、05年1月に仮出所した。ところが、別の強姦未遂容疑で逮捕された男が昨年11月、この件も自らが行ったと供述し、今月19日に再逮捕された。                 
                           1月28日19時46分 毎日新聞



県警の本部長と刑事部長が、男性に直接謝罪し、就職先の紹介など生活支援をする意向を伝えたという。これが警察の「組織としてのけじめ」らしい。

はあ。
あきれてものが言えない。

就職先の紹介などの、などが何を指すのかわからないが、その程度の生活支援で済まそうとする神経が理解できない。

通常は、まず、直接取調べに当たった者は訴追する。
次に、県警の本部長と刑事部長は役職を解く。その上で、男性が服役した期間に相当する、社会での得られた収入分を、公費ではなく、自費で補填させる。

そのようにしても、その男性の失った時間は戻らないのである。本人にしてみれば、カネより時間を返せと言いたいところだろう。

なお、ついでに言えば、その男性を起訴した検察官や有罪判決を下した裁判官等の謝罪は一切報じられていないが、知らぬそぶりの半兵衛では、この半兵衛が許しませぬぞ!!

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刑事裁判の有罪率99.9%:その2

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有罪率99%以上という現実について、元検氏の考えは、有罪率を下げれば不当起訴が増えることになり、重大な人権侵害の増加をきたすことになるから、賛成できない、という趣旨のようである。
果たして、そうか。
以下、具体的に検討してみる。

①無罪率の増加と人権侵害 
「検察としては100%の自信がない事件でも、きちんと裁判所の判断を仰ぐという起訴のあり方もあっていいのではないかと考えることもあります。しかしそうすると、無罪率が増えます。無罪率が増えると言うことは、結果として無実の人が身柄を拘束され起訴されることが増えるということです。言い換えれば、結果的に不当起訴が増えるということです」
これは、そのとおりだと思う。

②有罪率の低下と人権侵害の増加
「検察が一方的に証拠判断のレベルを下げて有罪率を下げようとしても、マスコミは逮捕時点で犯人逮捕と報道し(実際はまだ被疑者)、起訴時点で有罪扱いです。簡単に有罪率を下げるわけにはいきません。重大な人権侵害の増加をきたすからです」
マスコミが逮捕時点で犯人逮捕と報道することが、人権侵害につながるのであれば、安易に逮捕状を取り、不当逮捕することが問題であって、起訴の件数は関係ない。この場合は、有罪率を下げることが重大な人権侵害の増加をきたすということにはならないのである。

「簡単に有罪率を下げるわけにはいきません。重大な人権侵害の増加をきたすからです」
有罪率を下げると、重大な人権侵害の増加をきたすという意味は、よくわからない。

まず、人権侵害は被疑者や被告人だけの問題ではないことに留意しなければならない。ほとんどの事件は、加害者もいれば、被害者もいる。人権云々という以上、両者の人権を考えなければならない。

100%の自信がない事件でも、検察はきちんと起訴して裁判所の判断を仰ぐということになれば、確かに、起訴件数が増えることにより、不当起訴も増えることになるかもしれない。
しかし、不当起訴は増えるかもしれないが、有罪件数も増えるのである。本来有罪であっても処罰されなかった事件が、公平な裁判により、有罪として処罰される件数は確実に増えることになる。

たとえば、有罪になる確率が70%以上のものだけを起訴する場合、それが70%未満の事件は、処罰さえされないことになる。そうすると、70%未満の事件の被害者は泣き寝入りするしかない。

刑事事件で不起訴にされたような事件は、被害者が民事訴訟で救済を求めようにも、証拠の収集面でまず不利になる。勝訴の確率は低いし、仮に勝訴しても、罪を犯すような者からは、現実問題として賠償が得られる可能性は極めて低い。
不当な勾留による被疑者(被告人)への賠償規定はあるが、不起訴による被害者への賠償規定はない。
現状の有罪率の高さは、被害者の人権を侵害しているという歴然たる事実がある。このことを、まず見落としてはならない

次に、被疑者の人権侵害であるが、これも、疑問である。
起訴件数を増加させることによる有罪率の低下によって、被疑者の人権侵害が必ずしも増加するといえるだろうか。

不起訴処分も、実際は、ほとんどが有罪扱いの起訴猶予であって、無罪相当の嫌疑なしや嫌疑不十分ではない。
裁判での無罪であれば、法定の賠償を受けられるが、起訴猶予では、何の補償も受けられない。これでは、起訴しなかったからといって、人権に配慮した処置を行ったとはいえない。
密室での検察の段階で、処分を決定するのではなく、公開の公平な裁判で客観的な判断を下すほうが、被疑者(被告人)の人権に、より配慮したやり方といえるのではないだろうか。

③人権を考慮して起訴不起訴を決定?
「検察が一方的に証拠判断のレベルを下げて有罪率を下げようとしても、マスコミは逮捕時点で犯人逮捕と報道し(実際はまだ被疑者)、起訴時点で有罪扱いです。簡単に有罪率を下げるわけにはいきません。重大な人権侵害の増加をきたすからです」
これは、検察はいかにも、マスコミ等による人権侵害を考慮して、起訴不起訴を決定しているかのような表現だが、とんでもない話である。

検察が起訴不起訴を吟味するのは、人権侵害の考慮云々からではない。
まず、送検された事件をすべて起訴しないのは、法廷検事の人員上、対応できないという事情があるからである。人員に限りがある以上、起訴する案件を、対応できる件数に絞らなければならない。これが、一番の理由である。

有罪の確率が高くても、寝食を惜しみ、すべての休日を返上してまで起訴して働くような検事などいない。
従って、人員の関係上、対応できる範囲に絞って起訴しているが、その際の判断基準は、有罪の獲得に関して100%の自信があるかどうかではなく、検察組織の独自の基準で起訴不起訴を決定しているのである。

たとえば、本人も犯行を認め、証拠も揃って、有罪の獲得が100%自信のある事件でも、万引きや酒によっての公務執行妨害などの事件では、不起訴の案件が非常に多い。これは、有罪の獲得率という判断基準ではなく、事件の軽重に重きを置いている証拠である。微罪で本人が反省していれば、検察から見れば、起訴するまでもない軽い事件という判断になり、その結果、不起訴になっているのである。

一方、国策事件や、検察組織に反抗する事件では、有罪の確率が低くても、不起訴にはしない。無実を主張しているライブドアの堀江被告や村上ファンド、耐震偽装の木村建設の篠塚氏の事件などを見れば、明瞭である。

犯行を自白して反省している万引き等の事件よりはるかに有罪になる確率が低いのだが、こういった国策がらみの事件では、まず不起訴にはしないのである。それは、この手の国策事件は、検察内部の基準では、許しがたい重い事件と捉えているからである。
このことからも、検察が起訴不起訴を決定する判断基準は、不当起訴が増えて人権侵害の増加をきたすことを心配しているからではないことがよくわかると思う。

④検察による被疑者(被告人)への人権侵害
「実務上、10人の罪人を逃しても、1人の無辜〔無実の人〕を処罰することなかれという理念は失われていません」
「しかし、現状はマスコミは(そして世間も)逮捕有罪推定主義、起訴有罪確信主義とも言える状況です。逮捕されただけで職場は首になる。子供は学校で苛められる。奥さんは村八分状態。という事態が普通に起こるのです」
「dankogai氏は、被疑者の人権というものに無神経すぎると思われます」
と、元検氏は述べており、検察は被疑者の人権を最大限尊重しているが、世間やマスコミが人権を軽視しているような言い方をしている。

しかし、現実は、被疑者の人権を一番軽視しているのは、検察だろう。
「実務上、10人の罪人を逃しても、1人の無辜〔無実の人〕を処罰することなかれという理念」が失われていないのであれば、自白を強要したり、否認する者に対して長期勾留を続けたりはしないはずである。
検察の求める求刑の方が、裁判官の量刑より必ず重い(稀に同じという例外はある)という事実も、被疑者(被告人)の人権をあまり尊重していない証拠である。


⑤有罪率を下げる(無罪率を上げる)方法
元検氏は、有罪率を下げるという意味は、起訴する時点の証拠判断レベルを緩め、起訴件数を増やすことであるように主張している。
つまり、現在の99%以上の有罪率は、検察が起訴不起訴にあたっての証拠判断を厳格にして選別しているからであり、有罪率を下げると、不当起訴が増加して逆に人権侵害が起こるという理由で、現在の有罪率を評価している観がある。

しかし、99%以上の有罪率は、そういった起訴における選別基準よりも、自白を激しく迫る警察や検察の厳しい取調べ方法に原因があり、裁判所の実態に問題があるのではないか。

言いたくないことは言わなくてもよいというのは、憲法で認められた権利である。憲法で認められた権利である以上、警察や検察が自白を強要すること自体、本来許されない行為である。許されない行為ではあるが、現実には自白を強要している。

しかも、否認すれば、長期にわたって勾留するし、保釈を認めないのも、大体が検察である。否認する被疑者(被告人)に対して裁判所が保釈を決定しても、検察官が抗告して異議を述べる。公平な立場で裁判所が判断した保釈決定に対して、なぜ、検察が抗告するのか。

起訴不起訴の段階で人権侵害を心配するという検察が、取調べや保釈のときは人権侵害を考慮しないのか。
被疑者(被告人)の人権を考えるなら、起訴案件を絞ることより、被疑者(被告人)の自由意志を尊重しなければなるまい。

自白するかどうかは被疑者(被告人)の自由意志に任せ、自白以外の証拠は、検察側、被告人側双方のものをすべて採用して客観的に判断するようにするだけで、有罪率はかなり下がる(無罪率は上げる)はずである。

⑥99.9%の意味と責任
「最近、別のブログで有罪率99%以上というのは異常だという意見を目にしましたが、有罪率が下がるということはどういうことなのか理解した上での意見であったのか疑問があります」
「検事が起訴したからといって有罪だと思っちゃだめですよ。人間は間違いを犯す動物ですから。裁判所は検事の起訴をチェックするためにあります。そういう意識の希薄な裁判官も現実にいるようなので困るのです。有罪率99.9%のうちの0.何%か数%かわかりませんが、そのような裁判官によって増えている数字がないとは絶対に言えません」
と、元検氏は99.9%という有罪率の責任が、あたかも一部の裁判官にあるように述べているが、非常に偏った考えである。

99.9%という数字は、世間の感覚では100%と同じである。
ある確率が、99.9%の場合、0.1%にかける者はまずいないだろう。
裁判官とて同じである。有罪率が99.9%という現実の前では、裁判官の質を云々してみてもはじまらない。最初から、公平な裁判など期待できないのだ。
ここはやはり、99.9%という数字が問題だといわなければならない。
現実の有罪率が50%の場合と、99.9%の場合とで、同じ判断をせよというのが、どだい無理な注文である。

有罪率が増えたのは、一部の裁判官の責任ではなく、保守的、官僚的な考えの強い大多数の裁判官の責任である。
強力な権力を背景にして非人間的な取調べで自白を強要し、偏った証拠で臨む警察・検察の責任である。
被疑者、被害者、捜査機関の三者に公平に取材して報道するのではなく、捜査機関からだけの情報をそのまま報道する偏ったマスコミの責任である。
そして、権力の垂れ流すマスコミの偏った報道を、そのまま信じて、被疑者をすぐに有罪扱いする無知な国民の責任である。

⑦現実の直視
以上述べたように、有罪率が下がると人権侵害になるなどという検察の広報のようなたわごとを真に受けるのではなく、検察や裁判所の現実の実態を直視して、有罪率の問題を検討しなければならない。

ワンマン社長やワンマン知事は、チェック機能が希薄になるだけに、堕落していく。どんなに優秀な者でも、チェック機能が働かなければ、腐敗していくのが世の常である。

最近、教師の質の低下から、教員免許更新制度を導入する動きが出てきたが、検察官にも、同様の制度を設けるべきである。
政治家は数年ごとに選挙の洗礼を受け、裁判官は上訴という制度により多少のチェック機能が働いている。

しかし、こと検察官に関しては、そのようなチェック機能は全くといっていいほど働いていない。当然、驕り、非人間的な行動に出ても不思議ではない。
強大な権力を持った検察だからこそ、より厳格なたがをはめねばなるまい。


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刑事裁判の有罪率99.9%:その1

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現在上映中の注目映画、『それでもボクはやってない』の周防正行監督のインタビューが公開されている。
監督がなぜ刑事裁判をテーマにしたこの映画を作ろうと思ったのか?
以下。


ありのままの現実を伝えたい!「使命感」で初めて撮った映画

「東京地裁で痴漢事件の被告人として有罪判決を受けた矢田部孝司さんが、2002年に東京高裁で逆転無罪を勝ち取ったという記事を新聞で読んだのがきっかけです。
その記事のなかで、刑事裁判の有罪率が99.9%とか、無罪を勝ち取るためには、被告人が無実の証明をしなきゃいけないということも書かれていて、なにかしら心に引っかかったのですが、そのときは単純に感動的な話だと思い、関心を持ちました。

でも、実際にご本人に会って話を聞いたり、いろいろと調べていくうちに刑事裁判そのものについての疑問が湧いてきたんです。知れば知るほど、日本の裁判制度に憤りを感じました。
というのも、『疑わしきは罰せず』という原則のもとに裁判は行われていると思ったのに、その考えが見事に裏切られてしまったから。『無実であっても、無罪になるとは限らない』という不条理に対する悔しさや憤り、そして日本の刑事裁判の問題点をなんとしても多くの人に知ってもらいたいと思ったんです。
それから、取材で出会った弁護士さんに紹介してもらって、無罪を争う裁判を20件、3年半で200回くらい傍聴しました。

この映画は、私が初めて『使命感』を感じて作った映画です。まるで高校生のような青臭い正義感で、社会に訴えたいと思ったんですよね。
今回の作品は痴漢事件を取り上げていますが、この問題は男性だけに限ったことではありません。女性は痴漢の被害者の立場として、また、自分の大切な人が痴漢の犯罪者として訴えられるかもしれない立場として……という2つの視点で映画を観ることができるんです。冤罪事件は決して他人事じゃありません」

上記周防監督のインタビューで、刑事裁判の有罪率が99.9%という数字が出ている。

「有罪率99%」は謎か異常か?というタイトルで元検弁護士氏が意見を述べておられたので、それについて私も私見を述べたい。

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植草氏保釈、東京高裁が検察側の抗告棄却

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犯行を否認する者に対しては、厳しい取調べや嫌がらせで何が何でも自白を迫る。それでも自白しない者に対しては、厳しい仕打ちが待っている。

服役男性の無実が判明した衝撃のニュースが3日前に報道されたばかりだが、検察は全く反省していないことが、よく現れている。植草氏の保釈を認めた地裁の決定に対して、今回またもや検察は抗告していたからである。

もともと逃走のおそれはなく、被害者や目撃者も何の面識もない見ず知らずの相手だから、関係者に働きかけて証拠隠滅を図るおそれも全くなかった。
それを、約4カ月にわたって不当な勾留を続けてきた挙句、違法な取調べの実態が明らかになった責任を感ずるどころか、この期に及んでも、抗告して嫌がらせをしようとしたのである。

否認すると、こうなるぞ、という見せしめであるが、こういったやり方が冤罪の土壌になっていることを、決して忘れてはならない。
幸い今回は、東京高裁もさすがに良心の呵責を覚えたのか。


電車内で女子高校生の体を触ったとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われた元大学教授、植草一秀被告(46)について、東京高裁は22日、保釈を認めた東京地裁決定を支持し、検察側の抗告を棄却する決定をした。
保釈保証金は600万円。同被告は同日午後、東京・小菅の東京拘置所を出た。

起訴状によると、植草被告は昨年9月13日夜、京浜急行線の下り電車内で、女子高校生の下半身を触るなどしたとされる。同被告は公判で無罪を主張している。東京地裁は今月19日、保釈を認める決定をしたが、検察側が抗告したため、執行が停止されていた。
                                                      (2007年1月22日) 日本経済新聞


何はさておき、悪夢のような身体の拘束から解放された朗報に、ひとまずお喜び申し上げたい。

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服役男性の無実判明

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ひどい話である。

確たる証拠がないのに、自白に追い込んで容疑者を逮捕し、無実の罪で3年近くも服役させるとは。
真犯人が自供したから無実が判明したが、真犯人が出なかったら、濡れ衣を晴らすことも適わなかっただろう。
謝れば済むという問題ではない。


富山県警は19日、02年に起きた強姦(ごうかん)事件などで懲役3年の実刑判決を受けて2年9カ月服役した富山県の男性(39)が無実だったと明らかにした。県警は同日、この事件の容疑を認めた松江市西川津町、無職大津英一容疑者(51)=別の強姦罪などで公判中=を強姦容疑などで再逮捕。富山地検高岡支部は男性の裁判のやり直しのため、富山地裁高岡支部に再審請求する。

県警は02年4月に、当時氷見市内でタクシー運転手をしていた男性を強姦未遂などの疑いで逮捕、翌月に別の強姦容疑で再逮捕した。男性は起訴され、同年11月に懲役3年の判決を受けて確定。一昨年1月に仮出所した。

県警によると、目撃証言をもとに作成した似顔絵や被害者の証言などから、この男性が浮上。男性は逮捕前の2日間の任意の取り調べに容疑を否認していたが、3日目に容疑を認めたため、客観的な証拠がないまま逮捕した。男性は公判中も一貫して罪を認めていたという。

しかし、昨年11月中旬、強制わいせつ容疑などで逮捕された大津容疑者が富山県内の2事件についても「自分がやった」と供述。事件現場に残された靴跡が大津容疑者のものと一致したほか、1件は男性宅からの電話の発信時刻と犯行時刻が近く、物理的に男性の犯行は難しいことが新たに判明したという。

県警によると、2件の事件現場にあった靴跡は、男性の靴のサイズより大きかったという。

小林勉・県警刑事部長は「足跡については当時は疑問に思わなかった。男性の逮捕は客観的証拠が得られておらず、裏付け捜査が不十分だった。重く受け止め再発防止に努めたい」と話した。

佐野仁志・富山地検次席検事は「様々な証拠を総合的に判断して起訴したが、振り返ってみると、男性を犯人と特定する客観的な証拠はなかった。基本に忠実な捜査を怠り、客観的な証拠に対する問題意識が足りなかった」と話した。

県警によると、男性の現在の所在は分からず家族に謝罪したという。

                          2007年01月19日20時56分asahi.com


任意の取り調べに2日間容疑を否認していたが、3日目に容疑を認めたため逮捕したということだが、容疑を認めなければ何日でも厳しい取調べが続けられたものと想像できる。
この男性は、いくら否認しても、被疑者の言うことなど全く信用しようとしない警察や検察の体質に絶望したのだろう。

人を人として扱わぬ厳しい取調べは私も経験したし、無実でもその厳しい取調べや嫌がらせに耐えきれず罪を認めてしまう現実は、留置場で私と同部屋にいたU氏の実例
で実感している。

実際にやっていなくても、警察や検察相手に無実を貫くことは並大抵のことではない。そのことを、この事件はよく物語っている。

取調べの関係者や警察、検察の責任者は、謝罪や法定の賠償程度ではなく、その男性と同じように3年間刑務所にぶち込んで反省させねばなるまい。


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三井元大阪高検公安部長の判決と検察の責任

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検察の調査活動費の流用疑惑を告発した元大阪高検公安部長三井環氏の控訴審判決が15日、大阪高裁であった。
公費流用疑惑を告発の大阪高検元公安部長、二審も実刑(asahi.com 2007年01月15日12時44分 キャッシュ

当該事件に関しては、私は、検察の責任という1点に絞って意見を述べたい。

若原正樹裁判長は「被告には検察官の職務に関連した接待だという認識があった」と判断して、一審・大阪地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却したが、「被告が高知、高松両地検で次席検事だった頃に直接体験した限度で、調活費の不正流用があった」と、検察の公費流用の一部を認定している。
また、「一方で、検察庁幹部の私的な飲食費や遊興費などに調活費が流用されたとする疑惑が表面化した99年度以降、調活費が大幅に減額していることを挙げ、調活費の本来の目的、必要性には疑問が生じる」と指摘している。

三井氏が、「検察の調査活動費(調活費)の流用疑惑を公表しようとしたことへの口封じのための逮捕、起訴だった」と無罪を主張していたため、今回の判決結果も、冤罪かどうかに関心が置かれ、肝心の検察の責任問題がぼけてしまっている観がある。

まず、三井氏が有罪であっても、検察の調査活動費の流用疑惑を裁判所が認めたのだから、検察としては当然その責任を負わねばなるまい。
組織ぐるみの調活費流用は、国民の税金の横領という犯罪行為であり、許されるべき行為ではない。三井氏の有罪、無罪にかかわらず、厳しく追及されなければならない問題である。

調活費流用疑惑が表面化した99年度以降、調活費が大幅に減額しているという事実は、検察自身もその事実を認めている証拠でもある。
が、それを自ら公表せず、表面化した後に調活費を大幅に減額するというのは、なしくずしにうやむやにするずるいやり方であり、事実を明らかにして謝罪し、責任を取るという謙虚な対応ではない。

不正行為による責任問題は、関心をほかへそらし、先送りして曖昧にしてしまうというのが、官僚の常套手段である。

調活費の流用疑惑を公表しようとした三井氏を逮捕、起訴したのは、三井氏のいう「口封じのための逮捕、起訴」というよりも、三井氏個人の収賄罪等に世間の関心をそらし、時間を稼いで責任をうやむやにするのが目的だと思う。

有罪であれ、無罪であれ、この種の事件では決着するまでに5年~10年はかかる。
たとえ、事件のでっち上げが証明され、三井氏が無罪になっても、その頃には疑惑発覚当時の張本人はいないのだ。
転勤か、退職か、天下りかで、責任を追及しようにも、肝心の本人がいなくなってしまっている。時効が成立している可能性もある。

官僚の場合は、先送りに必要な人員は組織の人間を使い、費用は国民の税金を使えるから、裁判が長引けば長引くほど有利になる。自費で貴重な自分の時間を犠牲にして闘う個人とは、本質的に違うのだ。

世論、マスコミは、そういった検察官僚の汚いやり方に惑わされてはならない。仮に一部でも、二審で調活費の流用疑惑が認定された以上、今こそ、躊躇なく、検察の責任を追及しなければならないのである。

もう一つ、世間が見落としている点がある。
三井氏が有罪になったということは、調活費の流用疑惑以外の責任が、検察に発生してくるという点である。

高検の現職公安部長が収賄等の犯罪事件を起こしたということは、その直属の上司や検事総長の指導監督責任も、当然免れ得ないものになってくる。

市や県の自治体で収賄罪で職員が有罪になれば、直属の上司や市長、知事等も何らかの責任を負わねばならない。懲戒の軽重はあるものの、現実に、何らかの責任は取らされている。

検察であれば、収賄罪で有罪になっても、上司らは何ら責任を負わなくてもよいのか。
むしろ、犯罪者を取り締まる検察官の犯罪のほうが、より深刻な問題であり、監督者の責任も、より重大な問題といえるのではないだろうか。

この点についても、世間、マスコミがほとんど取り上げていないのが、私には不思議でならない。


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検察官は卑怯者:後編

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検察官は、一度起訴すると、なりふりかまわず被告人を有罪にしようとする。
被告人に有利な証拠は一切提出しない。不利な証拠だけを提出し、被告人が自分に有利な証拠を出してきた場合は、信用性いかんにかかわらず不同意にしてしまう。

私の場合は、比較的多くの証拠が採用されたほうではあったが、検察官の被告弁護側の証拠に対する反論は、およそ人間のまともな神経や正義感とは、ほど遠いものであった。

私の提出した証拠写真では、写真に写っている事実そのものを否定した

国税の職員(竹山孝特別国税調査官)が調査結果の説明を放棄して立ち上がり、体の向きを変えて応接室から帰っていくところがはっきり写っているのに、座っているときに写真撮影したなどという、その国税職員のうその主張を全面的に支持している。
竹山財務事務官らの写真は、私が座ったまま撮影したのだが、立ち上がって写しているから信用性がないともいう。現場で、座ったままの撮影と、立ち上がっての撮影の違いを、その写真に写っている状況で具体的に説明しても、認めようとはしない。

写真には、観葉植物が倒れて写っているのに、倒れていないと言い、都合が悪くなると、証拠写真は編集された可能性があるなどとも言ってくる。写真だけでなく、現像のもとになるネガフイルムまで提出しても、そのようなことをぬけぬけというのである。

パーティーションにカセットテープの当たった傷と破片がついていても、その事実を認めようとはせず、後からつけたものだと言う。
逮捕された時点で、その証拠写真を検察庁に提出しているのに、写真も後日写したものだなどと言うのである


民事事件では、つぼを割った国税の職員(竹山孝特別国税調査官)が謝罪も弁償もせずにそのまま逃げ帰っても、正当な行為だと言う。つぼを割って動揺し、仕返しを恐れて立ち去ったのであって、通常よくある行動だなどと、主張する始末である。
ひき逃げや当て逃げ事件を起こした容疑者には、動揺し、恐れをなして立ち去ったのだから正当な行為であるなどと許すはずなどないくせに、犯罪者を起訴して有罪にし、国側勝訴の判決をとるのが危ういような場合には、その場しのぎの恥も外聞もない厚かましい主張を平然とするのが検察官である。

私の一審の刑事裁判では、検察官が5人も替わった。控訴審や民事事件のほか、取調べの担当検察官も含めれば10人近い検察官と知り合ったことになる。が、私の事件を通じで知り合ったそれらの検察官は、いずれも真実がわかっていながら、平然とうそをつく、人間の良心も正義感のかけらも持ち合わせていないような卑怯者ばかりであった。

中にはうそをつくことに良心の呵責を覚え、組織の一員として、やむなく従っていただけの検察官もいたかもしれない。しかしだからといって、それが卑怯者ではないという理由にはならない。
いじめをとめると、自分がいじめられるから、しかたがなくいじめる側に味方していただけだという者が、卑怯者でないとみなされないのと同じである。

卑怯者の汚名の返上は、不合理な組織の論理には従わず、その組織を去るだけの覚悟をもって、人間の良心や法曹家としての正義を貫いて真実を追求することである。
もっとも、もともと検察官になった動機が、人に頭を下げなくてもいい、威張れる、給料がいい、官僚のエリートである、安定している、といった理由が大半であるから、それを期待することは、どだい無理な注文かも知れないが。


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検察官は卑怯者:中編

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ひと頃、いじめを苦にした小中学生の自殺が相次いだ。
弱い者いじめをする人間は、卑怯者である。
いじめられた者にいじめられるだけの何らかの非があったから、いじめた者は正義の味方だなどと思う者はいないだろう。弱い立場の人間を、立場の強い者がいじめるのは、卑怯者であり、それは正義の味方どころか、人間のくずと言わなければならない。

だが、この場合も、いじめられる側の人間が、疑いをかけられた非を事実ではなくても素直に認めてひたすら謝り、プライドを捨てて奴隷のようにいじめる側の人間に従えば、いじめられずには済むかもしれない。

検察官と被疑者は、まさにそういったいじめる側といじめられる側の関係にある。

まず、被疑者は逮捕、勾留されたうえ、接見禁止にされて外部の者との交流が遮断される。自由を失い、手足をもぎ取られた一人の弱い立場の人間を取り調べる検察官は、強大な権力を背景にし、組織ぐるみで対抗してくる。

勾留を継続するのも、釈放するのも意のままである。
マスコミに逮捕した事実を公表し、被疑者の職や地位や社会的信用を脅かす生殺与奪の権限も持っている。
起訴するかしないかも自由であり、裁判での求刑の軽重も手加減次第である。日本の裁判官は、求刑の7~8割で量刑を決める傾向が強く、求刑以上の量刑を出すことはないので、量刑の決定権も、実質的には検察官が握っている。

たとえ被疑者が暴力団等の凶暴な者であっても、被疑者の立場になれば、とらわれの一羽のかごの鳥であり、組織的な暴力を行使するすべもない。
検察官は、最高の国家権力に守られており、事件を訴えた被害者へのお礼参りは頻繁に起こるが、やくざ者を取り調べた検察官へのお礼参りは、聞いたこともない。

そういった強い立場の検察官が、極めて弱い立場の被疑者を取り調べるのである。
検察官に従順な態度を示せば問題は起きないが、被疑事実を否認して不当逮捕を訴えようものなら、その強い立場を利用して、見境のない不当な言動で対抗してくる。

「悪いようにはしない。否認すれば勾留が長くなるから、ここは一時的でも罪を認めておけ」
「否認すると、新聞に載って、職を解雇されるし、子供も学校でいじめられるぞ」
「反省がないと、執行猶予もつかない。実刑になってもいいのか」
「罪を認めないと、家族や職場の者を何度も呼んで取り調べることになる。人に迷惑をかけてもいいのか」
と、人の弱みを突いて無理やり自白させようとする。その強要ぶりは、半端ではない。

それでも否認を続ける者には、警告どおりマスコミに報道させ、社会的地位を抹殺する。異常に長期にわたって勾留し、保釈も認めさせようとはしない。
報復的な見せしめである。

嫌疑のかけられた犯行を実際に行っていて否認している者ばかりではない。
実際にやっていないから否認している者も多いのだ。
取調べの過程において発覚した証拠から、無実の疑いが濃厚になっても、検察官は自分たちの過ちを認めようともせず、都合の悪い証拠は隠蔽し、何が何でも自白させて目的をまっとうしようとするのである。


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検察官は卑怯者:前編

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裁判員制度が2年後に迫るなか、高校生が企画した「模擬裁判」が14日、東京都内で開かれた、という記事があった。

公募での出演者集めの過程において、法曹三者役での一番人気は検察官で、理由は「正義の味方だから」という。
ところが、弁護人は希望者が集まらないため、スタッフが務めた。「犯人かもしれない人を弁護する、という意義が分かりにくい」ため、人気がなかったそうだ。

この模擬裁判での法曹三者役に対する高校生の認識が、世間の認識そのもののようである。
検察官が正義の味方だというのは、犯罪者を相手にする職業柄にもよるが、テレビドラマなどで、悪と闘うヒーローとして検察官を称える筋書きが多いことも影響している。

だが、実態は、正義の味方という一般の認識とは大きくかけ離れており、検察官には卑怯者が多いというのが、私の認識である。

人間の本性が出るのは、非常時である。平時には、なかなかその人間の本性がわからない。借金で追い込まれたり、職業や地位や家族を失ったりしたときに、人間の本性が出る。
戦場という特殊な状況下でもそうだろう。必死で敵と戦わなければならない環境下でも、優しさを失わない人間もいれば、一転して平時では想像もできない残虐な行動に走る人間もいる。
友人や家族の間でも、利害が一致しているときにはわからなかった性格が、利害が対立したときに表面化してこじれるのも、その例と言えるだろう。

検察官の仕事は、犯罪事実を固めて起訴し、有罪にすることである。民事事件では、国の訴訟代理人を務めて、国側を勝訴させることである。

犯罪者を起訴して有罪にし、国側勝訴の判決をとるのが、彼らの仕事であり、それに適う結果が得られれば、平時の状態といえるのである。
そういう結果が得られるのは平時だから、このときには彼らの本性は現れない。
検察官が正義の味方のように見えるのは、普段、平時の状態しか見ていないからである。

彼らにとっての非常時は、刑事事件では、犯罪事実が固まらず、有罪に持ち込めない場合であり、民事事件では、国側を勝訴に導け
ない場合である。
この非常時に現れる態度、行動こそが、彼らの本性だ。

被疑者が被疑事実を認めている場合には表面化しない本性が、被疑者が否認し、容易に有罪に持ち込めそうにない場合に表面化するのである。

私自身の体験を語る前に、まず、冤罪を主張して闘っている法律の専門家や植草氏
の実体験を紹介したい(下記)。

(山下弁護士関係)
http://mujitu.blog81.fc2.com/

http://shinnjitu.blog80.fc2.com/blog-date-20061114.html
http://shinnjitu.blog80.fc2.com/blog-date-20061120.html

http://shinnjitu.blog80.fc2.com/blog-date-20061211.html
(植草氏関係)
http://yuutama.exblog.jp/d2007-01-15

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愛知県との仁義なき闘い:その5

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誤って削除した記事を復元しました。ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。

1週間ほどして愛知県から文書による回答があった。

○○○○様
                                                              愛知県企画部土地利用調整課長

○○年○月○日付けで知事あて照会のありました県地価調査の鑑定評価員の指名選任の件につきまして、本職において、同調査の受託者である(社)日本不動産鑑定協会からの推薦を受けた不動産鑑定士のうちから適任者を指名選任することといたしておりますのでご了承ください。
なお、鑑定評価員の指名選任に当たり、不動産鑑定士に対する当課職員の怨恨その他不正行為は存在せず、ましてこれらが介在する余地はないことを申し添えます。

予想したとおり、当たり障りのない回答だった。
だが、それなりに効果はあった。

何日か経って、また尾藤鑑定士から電話があった。
相談したいことがあるという。
相談の内容は、森田愛知県部会長に対する懲戒の請求を取り下げてくれ、ということだった。

いくら、人望が厚く、私のことを親身になって心配してくれる尾藤鑑定士の頼みといえども、こればかりは、ただでは引き下がれなかった。

会うと、尾藤鑑定士は言った。
「村瀬課長補佐が土地利用調整課から替わった。君とやりあった山森という職員も替わったよ」
「えっ?」
私は尋ねた。
「君の件が原因だ。課長も替わったが、村瀬課長補佐なんかは、分室に異動だよ。わしを見るなり、尾藤さん、俺やんなったよ、とすっかり元気をなくしとった」
そう言って、彼は笑った。
「そうですか」
「君はやつらとの喧嘩には勝ったんだ。どうだい、ここはひとつ妥協してくれないか」

一息ついて、彼は言葉をつないだ。
「県に対しては、鑑定士なんて弱いものだよ。前にも言ったが、仮に森田県部会長の立場だったら、わしでも県の要求を突っぱねれたかどうか自信がない。それほど、やつらの圧力は強いんだ。どこの業界でも、監督官庁の役人に楯突ける人間はいない。そんなことしたら、その業界では生きていけなくなるんだよ」
「………」
「もちろん、個別に謝ったぐらいでは、君が納得しないこともわかっとる。どうだね、今度の総会の席上で、みんなの前で彼に謝罪させるという条件で、取り下げてくれないか」
そこまで言われると、取り下げないわけにはいかなかった。

地価調査の評価員は外れたが、尾藤鑑定士の言うように、木っ端役人との喧嘩には勝ったかも知れない。
怨恨その他不正行為は存在せず、ましてこれらが介在する余地はない、という回答だったが、不正行為の存在を認めたことを前提とする人事異動が行われたのだ。
それに、喧嘩の発端になった第三鑑定の報酬が、その後まもなく、倍以上に跳ね上がったのである。報酬が安すぎるという私の主張を、結果的に受け入れたということだろう。

その後のバブル経済による地価高騰で、第三鑑定の評価員は、大変懐が潤ったのだが、むろん、私にはその後復帰した地価調査の仕事以外は、ついに県からはただの1件も仕事がこなかった。

ただ、その後の地価調査の業務に関して、県の職員と接触しても、私に対しては横柄な態度をとることはなくなったし、鑑定協会の役員連中も、面と向かって理不尽なことを言ってくることもなかった。

もともと、裸一貫。
理不尽なことで信念を曲げるぐらいなら、仕事を辞める覚悟でいたのだが、信念を曲げずに支障なく仕事が続けられたのは、非常に幸運だったのかも知れない。

郵政民営化に関して、自己の利益のためなら、いとも簡単に信念を曲げる復党議員の節操のない行動等が映し出されていたが、私にはとても理解できない行為である。

理不尽な行為や他人の圧力では、絶対に信念を曲げない。
それは、今も私の信条になっている。


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愛知県との仁義なき闘い:その4

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謝罪を全面的に断った私に対して、県の下級役人の横暴は、一段とエスカレートした。
今度は、単なる謝罪の要求ではなく、県部会長の森田鑑定士を通じて、地価調査評価員の指名申請を取り下げろ、と言ってきたのである。

地価調査評価員の指名申請は、各鑑定士が2月始めまでに鑑定協会の愛知県部会へ申請書を提出し、それをまとめて県部会長が県へ提出することになっている。
事件が起きた当時は、県へ提出される前の段階で、申請書は、まだ、鑑定協会の県部会に残っていた

私が提出していたその指名申請を取り下げろというのである。

私は、県部会長の森田鑑定士に言った。
「なぜ取り下げなきゃならないんです。あなたは、鑑定士の味方か、県の味方かどっちなんですか!そんなことで、これから電話をかけてこないでください!」

私は、はらわたが煮えくり返った。
いろんな嫌がらせは、土地利用調整課の村瀬課長補佐が中心になってやっているということを、尾藤鑑定士から聞いていた。

私は、県の土地利用調整課の村瀬課長補佐に直接電話して糾した。
「指名申請を取り下げろですと。私がどんな悪いことをしたというんですか」
「鑑定士さんのように常識ある人が、一般の人も出入りする県の窓口で大声をだすこと自体が問題だ。そんな常識のない人に地価調査は任せられませんわ」
と、人を馬鹿にするような答えが返ってきた。

「それが地価調査評価員の選任を拒否する理由に該当するんですか」
「非選任理由に該当するかどうかではなく、ふさわしくないと言っている。だから、そういう人は申請しないでくれと言ってるんですわ」
私は腹が立った。
「選任基準に合わなければ、理由を付して却下しろ!自分からは絶対に取り下げんぞ!」
捨てぜりふを吐いて電話を切ったが、形勢が非常に悪くなっていることはわかった。

守りに入ったら、
喧嘩は勝てない。
地価調査評価員の選任問題程度で、県全体が組織的にかかわることなどありえない。課で実権を握る村瀬課長補佐が、単独で主導して嫌がらせを行っているのだろう。

(おのれ!見ていろ)
私は、愛知県知事と土地利用調整課の課長あてに厳しい抗議文を送りつけた。
県の定める地価調査評価員の指名選任基準を掲げ、怨念により一課長補佐の独断でその手続きを曲げることの不当性を訴えた。このような横暴を是認ないし黙認するようなことがあれば、貴殿らの責任追及も辞さない所存である旨を訴えた。

ところが、事態はとんだ方向へと展開した。
なんと、私の提出した地価調査評価員の指名申請書が、愛知県に提出されなかったのだ。県部会長の森田鑑定士が、私の申請書だけ意図的に県へ提出しなかったのである。
そのため、申請期限が過ぎ、その年は地価調査の評価員から外れてしまった。

こうなると、県の責任は追及しにくい。地価調査の評価員から外されたのは、期限内に申請書が県へ提出されなかったからであり、外形上は県に非が認められないからである。
提出しなかったのは鑑定士の県部会長である。村瀬課長補佐を問い詰めたところで、圧力をかけた事実を素直に認めることなどありえないし、県部会長の森田鑑定士も、その圧力に負けてやったなどとは、公言しないだろうからである。

だが、このままでは済まされない。
まず、圧力があろうがなかろうが、県部会長のとった行動は許されない。
また、しらを切ろうが、村瀬課長補佐が圧力をかけたことは事実だから、揺さぶりはかけねばならない。

私は、不動産鑑定協会の本部に、森田愛知県部会長の懲戒を申し立てた。
と同時に、再度、愛知県知事に対して抗議文を送りつけた。
地価調査の評価員から外された経緯を説明し、村瀬課長補佐を名指しして、怨念による不当な圧力の有無の実態の調査を要求した。
その結果を文書で必ず回答すること、実態調査を怠り、その結果の回答を怠った場合は、議員を通じて議会でその責任を追及するとともに、法的処置も辞さない構えであることを訴えたのである。



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愛知県との仁義なき闘い:その3

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地価公示の分科会の幹事である北沢鑑定士から電話があった翌日には、かっての職場の所長である木田鑑定士から電話があった。

内容は、北沢鑑定士と同じであった。
「わしが謝りについて行ってやる」
というのである。
北沢鑑定士に説明したように、侮辱されたのは私の方で、私こそ、土地利用調整課の人間に謝ってもらわなければならない立場だと訴えた。
「あんた、謝れんなんて、いつからそんなにえろうなったんだ!県の偉いさんに楯突ける立場か!」
と、怒ったように言い、またしても人の話を聞こうともしなかった。
「あなたにそんなこと言われる筋合いはありません」
私も腹が立ち、それだけ言って電話を切った。

その翌日には、県部会長の森田鑑定士から同じような電話があり、それも断ると、また、鑑定協会の他の役員が入れ替わり立ち代り電話をかけて謝れと言ってくる始末だった。

そんな時、税理士も兼業する尾藤鑑定士が、話がしたいから時間をとってくれないか、と電話をかけてきた。
会うと、彼は、私に言いたいことをすべて言わせた。
私の話をじっくり聞いた後、こう言った。
「君のいうとおりだ」

彼は、続けた。
「県とのトラブルの件も、君の方が正しいと思う。鑑定協会の役員の対応も、本来は筋違いだ。協会の役員なら、会員である鑑定士の味方をせにゃいかん。君のいうように、協会の役員が一方的に県の肩を持つのは、間違っとる」

言葉をきってから、話を続けた。
「しかし、君は若いからまだわからんかも知れないが、役人というものは、そういうものなんだ。それだけ強い力を持ってるんだよ。協会の役員で県の役人に向かって正論を吐ける者はいない。わしだって、県の役人から直接言われたら、断れるかどうか自信がない。どんな汚い手を使ってでも、圧力をかけてくる。やつらはそういうものなんだ。わしも若い頃、税務署の職員にちょっと楯突いただけで、とんでもない目にあった。仕事はなくなるわ、税理士会の連中からは疎まれるわで、総スカンを食った」

彼は一息つき、しみじみ言った。
「悪いことは言わん。ここで意地をはらんで、適当に謝ったふりしとけ。そうすれば時間が経って、そのうち、何にもなかったことになっていくで」

尾藤鑑定士は、話のわかる反面、愛知県の鑑定協会の役員の中では、随一役人に媚びない頑固者で有名だった。その彼も、謝った方が身のためだと言う。

「考えさせてください」
権力の恐ろしさを垣間見る思いがした。どうしようもない不安感はぬぐえなかったが、私の腹は決まっていた。
考えさせてくれ、というのは、決断を決めかねているからではなく、親身になって私のことを心配してくれる尾藤鑑定士への心配りからだった。
言下に断っては失礼に当たると思ったのだ。

翌日、尾藤鑑定士に電話をかけた。
私の身を案じてくれたことに感謝の意を表わし、仕事がなくなろうが、鑑定士を廃業しようが謝らないということを、強くかつ丁寧に伝えた。

彼は、私の返事を予想していたかのように、電話の向こうで、うん、うんと頷いているのがわかった。

謝罪を全面的に断った私に対して、県の下級役人の横暴は、一段とエスカレートした。

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愛知県との仁義なき闘い:その2

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私が怒鳴ると、
「まあまあ、先生」
と、近くにいた職員が間に入ってきた。
窓口の担当者より、年が10歳ほど上であろうか。
私たち二人のやり取りを聞いていたらしく、険悪な空気を察してすかさず仲裁に入ってきたのである。

その職員は、窓口の若い担当者を奥に下げた。
そして、担当の者が言葉が過ぎて申し訳なかったと、私に頭を下げてきた。
窓口の担当者に侮辱された思いはあったが、丁寧に謝罪されると、私もそれ以上言えなかった。今日のところは、引き上げたほうがよさそうだった。
「何かあれば連絡してください」
そう言って、私は会釈し、県庁を後にした。

ところが、これが大事件に発展したのである。

二三日後、北沢鑑定士(仮名:以下氏名はすべて仮名)から電話があった。私の所属する地価公示の分科会の幹事である。
「きみ、県で問題を起こしたそうじゃないか」
非常に慌てた様子だった。
「すぐ、謝りに行こう。もちろん、わしも行く」
彼は、何も訊かずにそれだけ言った。

問題を起こしたというが、聞くと、北沢鑑定士は何があったのか、そのとき事件の事情を全く知らなかったのである。
私が事情を説明しようとすると、
「事情など重要ではない。土地利用調整課が怒っている。すぐに謝りに行かないと大変なことになる」
と言うのである。

事情も聞かずに謝れとは何事だ! 
おまえも、連中とぐるか!
そう言いたかったが、言葉を選んだ。
「謝りに行かなきゃならないことはしてません」
私は、簡潔に概略を説明した。
そして、侮辱されたのは私の方であり、私こそ、土地利用調整課の人間に謝ってもらわなければならない立場だと訴えた。

すると彼は、言った。
「きみの気持ちはわかるが、我を張ってると、大変な不利益を蒙るよ。県に楯突くと、地価調査の仕事を外されるだけでなく、地価公示(公示価格)の仕事もできなくなるし、鑑定の仕事自体できなくなるんだよ。相手に非があろうがなかろうが、謝った方が得なのだ」
更に、
「きみのために言ってるんだよ」
と、くどくどと何度もその言葉を繰り返した。

人のことより自分の立場を心配して言っていることがよくわかるだけに、その言葉が鼻についた。
「地価調査を外されようが、仕事がなくなろうが、謝る必要のないものは、謝れません。私がそう言ってたと、言っておいてください」
私は、突き放すように電話を切った。

こんなやり方をしてくるとは。
上司らしき職員の仲裁で、窓口の担当者との口論の一件は、一応収まったものと思っていたが、非常に執念深く、陰湿だった。
電話を切ってから、横車を押すような役人の行動に、抑え難い腹立ちが沸き起こってきた。
と同時に、権力を背景とする人間のもたらす、気味の悪い不安感と恐ろしさも覚えた。

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愛知県との仁義なき闘い:その1

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今から20年ほど前。
独立開業してまもない頃のことで
ある。
不動産鑑定業者の監督機関を自認する愛知県の土地利用調整課(当時)と全面的な喧嘩になった。

ことの発端は、国土法による土地売買の届出に関して添付した私の鑑定評価書の価格をめぐってである。


当時私は、土地を購入しようとする不動産業者から依頼を受けて、国土法による届出書とともにその価格の根拠となる鑑定評価書を、窓口である土地利用調整課に持参した。
窓口の若い担当者は、私の鑑定評価書の内容を検討することもなく、評価額だけ見て、
「高すぎる。こんな価格では通らない」
と、言ってきた。
仮にも、評価の専門家である不動産鑑定士の私に、評価の素人である木っ端役人が偉そうな口を利いてきたのである。

当時は、
日本経済が、円高不況を経て、バブル経済へ突入しようとしていた時期であった。カネあまりから、だぶついた資金が不動産に向かい、地価が急激な上昇を見せ始めていた。
時代が変動するときは、保守的な体質を持つ役所では、その変化についていけない。
不動産の価格についても同様で、各役所が把握していた地価は、実勢価格と大きな乖離が生じており、現実離れした価格となっていた。

私は、地価が上がっており、評価対象不動産の周辺でも実需による高い取引事例が多くあり、今では、その評価額が適正な価格になっている旨を説明した。

しかし、その担当者は、
「第三鑑定が出ている」
と言って、私の話をまともに聞こうともしなかった。

第三鑑定というのは、届出価格を審査する側の役所から不動産鑑定士に依頼した鑑定評価で、国土法の届け価格を審査する際の参考とするためのものである。

審査機関の自治体は、意図的に低い価格を提示して地価の抑制を図っていた。役所から依頼を受けた鑑定士の大半は、その方針に適う低い評価額しか出さなかった。
役所が政策的に価格を誘導していたこともあったが、当時の愛知県の第三鑑定の報酬料が安すぎたこともある。

採算の合わない仕事を手間隙かけて詳しく調査するより、希望価格に近い評価額を出して適当に作業を済ませたほうが割に合う。依頼者である役所の希望に適う評価なら、問題になることもない。
「報酬が安いのに、馬鹿らしくってまともにやってられるか」
というのが本音であり、現に第三鑑定を担当していた鑑定士は、顔を合わせるたびに、陰でそのように愚痴っていた。

「第三鑑定は報酬が安いから、いいかげんな仕事もありますよ」
と、私は言った。
第三鑑定の実態を説明し、その評価が絶対というわけではなく、それが出ているのなら、その内容と私の鑑定書の内容とを詳しく比較検討して判断すべきではないか、という趣旨で説明しようとしたのである。

すると、その担当者は、
「おたくは、地価調査はやってみえるんですか」
と聞いてきた。

地価調査というのは、公示価格と同じような性質のもので、役所が毎年全国の土地価格を調査して公表する公的な土地価格で、固定資産税や相続税の基礎価格にもなっている。
公示価格は、地価公示法という法律に基づき、国(国土交通省:当時は国土庁)が全国に多くの標準地を設けて、毎年1月1日時点の価格を不動産鑑定士に調査させ、その結果を3月末に公表している制度である。
一方、地価調査は各都道府県が主管し、毎年7月1日時点の価格を不動産鑑定士に調査させ、その結果を9月末に公表しているものであり、公示価格を補完する役割を担っている。
その地価調査の評価員として、業務を担当しているのか、というのである。

「やってますよ、それがどうかしたのですか」
と、私は答えた。
「お辞めになったらどうですか、地価調査を」
「なぜですか?」
「第三鑑定は報酬が安いから、いいかげんな仕事だというのなら、地価調査も同じでしょう。6万円程度じゃないですか。いいかげんな仕事してるんでしょ、地価調査も。お辞めになったらどうですか」
「第三鑑定の報酬は1回の仕事に対しての報酬でしょう。地価調査は1ポイント6万円でも、1回の仕事で15~6ポイントあるから、同じではないじゃないですか」
「同じでしょう。地価調査は半年近く拘束されるんだから、とても採算に合わないでしょう。お辞めになったらどうですか」
と、その担当者は、二言目には地価調査を辞めたらどうかという言葉を繰り返した。

言葉使いは丁寧だが、不動産鑑定士の監督官庁で、地価調査の仕事をくれてやっているのに、何を偉そうな口を利くのだという傲慢な態度が、ありありと現れていた。
30歳そこそこだった私を、若造と思ってなめていたこともあったろう。

「採算に合うか合わないかは、こっちが判断することでしょう」
担当者の横柄な態度に腹が立ってきたが、まだ私は、冷静に対応していた。
「だから、判断したんでしょ?報酬が安ければいいかげんな仕事になるって。辞めなさいよ」
その担当者は、くどかった。屁理屈を述べるだけで、人の話を聞く意思など全く感じられなかった。

我慢の限界が来た。
私は、その担当者を睨みつけて言った。
「辞めろ、辞めろと、あんたにそんなこと言う権限あるのか!」
私の剣幕に、その担当者は口ごもった。

「届出価格の話をしとるんだろう!地価調査を辞めろだと!そんなこと何の関係があるんだ!」
次第に声が大きくなった。

「あんたの仕事は何なのだ!国土法の届出の審査か、地価調査の評価員の審査か、どっちなんだ!」
「‥‥‥」
「自分の仕事がやりたくないのなら、上司を出せ!」
私はカウンター越しに、ついに怒鳴った。

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愛知県知事選に関して

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2月4日の愛知県知事選に向け、自民、公明両党が推薦する現職の神田真秋知事(55)を支援するため、自民党総裁の安倍晋三首相が4日、名古屋市で財界トップらに選挙協力を直接要請することが分かった。

地方選では総裁が現地入りして応援しないことを原則にしている自民としては異例の対応。
民主党は、石田芳弘・前犬山市長(61)の支援のため、小沢一郎代表が積極的に愛知入りすることにしており、知事選は今月18日の告示を前に、中央政界を巻き込んで過熱してきた。

自民は、自民、公明対民主の枠組みで主要政党が激突し、32年ぶりの分裂選挙となる知事選を、夏の参院選の前哨戦と位置づけ、重点選挙として全力を挙げる方針を決めている。
                                     1月4日中日新聞

愛知県知事選が、自民、公明対民主の全面対決の様相を帯びてきた。
そこで、今回は、私と愛知県との全面戦争にまで発展しかけた下級役人の横暴の実態を書いてみたい。


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新年のご挨拶

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