検察官は卑怯者:前編
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裁判員制度が2年後に迫るなか、高校生が企画した「模擬裁判」が14日、東京都内で開かれた、という記事があった。
公募での出演者集めの過程において、法曹三者役での一番人気は検察官で、理由は「正義の味方だから」という。
ところが、弁護人は希望者が集まらないため、スタッフが務めた。「犯人かもしれない人を弁護する、という意義が分かりにくい」ため、人気がなかったそうだ。
この模擬裁判での法曹三者役に対する高校生の認識が、世間の認識そのもののようである。
検察官が正義の味方だというのは、犯罪者を相手にする職業柄にもよるが、テレビドラマなどで、悪と闘うヒーローとして検察官を称える筋書きが多いことも影響している。
だが、実態は、正義の味方という一般の認識とは大きくかけ離れており、検察官には卑怯者が多いというのが、私の認識である。
人間の本性が出るのは、非常時である。平時には、なかなかその人間の本性がわからない。借金で追い込まれたり、職業や地位や家族を失ったりしたときに、人間の本性が出る。
戦場という特殊な状況下でもそうだろう。必死で敵と戦わなければならない環境下でも、優しさを失わない人間もいれば、一転して平時では想像もできない残虐な行動に走る人間もいる。
友人や家族の間でも、利害が一致しているときにはわからなかった性格が、利害が対立したときに表面化してこじれるのも、その例と言えるだろう。
検察官の仕事は、犯罪事実を固めて起訴し、有罪にすることである。民事事件では、国の訴訟代理人を務めて、国側を勝訴させることである。
犯罪者を起訴して有罪にし、国側勝訴の判決をとるのが、彼らの仕事であり、それに適う結果が得られれば、平時の状態といえるのである。
そういう結果が得られるのは平時だから、このときには彼らの本性は現れない。
検察官が正義の味方のように見えるのは、普段、平時の状態しか見ていないからである。
彼らにとっての非常時は、刑事事件では、犯罪事実が固まらず、有罪に持ち込めない場合であり、民事事件では、国側を勝訴に導けない場合である。
この非常時に現れる態度、行動こそが、彼らの本性だ。
被疑者が被疑事実を認めている場合には表面化しない本性が、被疑者が否認し、容易に有罪に持ち込めそうにない場合に表面化するのである。
私自身の体験を語る前に、まず、冤罪を主張して闘っている法律の専門家や植草氏の実体験を紹介したい(下記)。
(山下弁護士関係)
http://mujitu.blog81.fc2.com/
http://shinnjitu.blog80.fc2.com/blog-date-20061114.html
http://shinnjitu.blog80.fc2.com/blog-date-20061120.html
http://shinnjitu.blog80.fc2.com/blog-date-20061211.html
(植草氏関係)
http://yuutama.exblog.jp/d2007-01-15
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