検察官は卑怯者:中編
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ひと頃、いじめを苦にした小中学生の自殺が相次いだ。
弱い者いじめをする人間は、卑怯者である。
いじめられた者にいじめられるだけの何らかの非があったから、いじめた者は正義の味方だなどと思う者はいないだろう。弱い立場の人間を、立場の強い者がいじめるのは、卑怯者であり、それは正義の味方どころか、人間のくずと言わなければならない。
だが、この場合も、いじめられる側の人間が、疑いをかけられた非を事実ではなくても素直に認めてひたすら謝り、プライドを捨てて奴隷のようにいじめる側の人間に従えば、いじめられずには済むかもしれない。
検察官と被疑者は、まさにそういったいじめる側といじめられる側の関係にある。
まず、被疑者は逮捕、勾留されたうえ、接見禁止にされて外部の者との交流が遮断される。自由を失い、手足をもぎ取られた一人の弱い立場の人間を取り調べる検察官は、強大な権力を背景にし、組織ぐるみで対抗してくる。
勾留を継続するのも、釈放するのも意のままである。
マスコミに逮捕した事実を公表し、被疑者の職や地位や社会的信用を脅かす生殺与奪の権限も持っている。
起訴するかしないかも自由であり、裁判での求刑の軽重も手加減次第である。日本の裁判官は、求刑の7~8割で量刑を決める傾向が強く、求刑以上の量刑を出すことはないので、量刑の決定権も、実質的には検察官が握っている。
たとえ被疑者が暴力団等の凶暴な者であっても、被疑者の立場になれば、とらわれの一羽のかごの鳥であり、組織的な暴力を行使するすべもない。
検察官は、最高の国家権力に守られており、事件を訴えた被害者へのお礼参りは頻繁に起こるが、やくざ者を取り調べた検察官へのお礼参りは、聞いたこともない。
そういった強い立場の検察官が、極めて弱い立場の被疑者を取り調べるのである。
検察官に従順な態度を示せば問題は起きないが、被疑事実を否認して不当逮捕を訴えようものなら、その強い立場を利用して、見境のない不当な言動で対抗してくる。
「悪いようにはしない。否認すれば勾留が長くなるから、ここは一時的でも罪を認めておけ」
「否認すると、新聞に載って、職を解雇されるし、子供も学校でいじめられるぞ」
「反省がないと、執行猶予もつかない。実刑になってもいいのか」
「罪を認めないと、家族や職場の者を何度も呼んで取り調べることになる。人に迷惑をかけてもいいのか」
と、人の弱みを突いて無理やり自白させようとする。その強要ぶりは、半端ではない。
それでも否認を続ける者には、警告どおりマスコミに報道させ、社会的地位を抹殺する。異常に長期にわたって勾留し、保釈も認めさせようとはしない。
報復的な見せしめである。
嫌疑のかけられた犯行を実際に行っていて否認している者ばかりではない。
実際にやっていないから否認している者も多いのだ。
取調べの過程において発覚した証拠から、無実の疑いが濃厚になっても、検察官は自分たちの過ちを認めようともせず、都合の悪い証拠は隠蔽し、何が何でも自白させて目的をまっとうしようとするのである。
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