冤罪の再発防止の取り組みには関係者の処罰の取り決めを盛り込め

不当捜査による冤罪が、警察庁長官の訓示程度でなくなるものではないだろう。

「適正捜査の指導を」警察庁長官が訓示、無罪判決相次ぎ
鹿児島県の選挙違反事件無罪判決などを受け、警察庁の漆間巌長官は13日開かれた管区警察局長会議で「全国で相次いだ無罪判決でくみ取るべき点は何かを踏まえ、適正な捜査運営について管区内の指導に努めてほしい」と訓示した。

管区警察局は全国に7つあり、地方の府県警本部を監督するほか、広域捜査などを指揮する。

会議には7局長のほかに警視総監、北海道、大阪の道府警本部長も出席。訓示後の協議では、各局長らが現場の実情や、再発防止の取り組みを報告した。

選挙違反事件では鹿児島地裁が2月、被告12人全員を無罪とし、3月には福岡高裁が佐賀県で女性3人を殺害したとして起訴された男性に無罪判決を出し、それぞれ確定した。また1月には富山県で強姦冤罪事件が発覚している。
                    2007年4月13日 日本経済新聞


訓示後の協議で、各局長らが現場の実情や、再発防止の取り組みを報告したとあるが、具体的にどのような再発防止策を検討しているのか定かではない。

鹿児島の選挙違反事件や富山県の強姦冤罪事件のように極めてひどい捜査による無罪判決の場合でも、関係者はいたって軽い処分か処分自体がなされていないという状況である。
身内に甘い警察の体質から考えると、おそらく再発防止の取り組みというのもたいした中身ではなく、一応対策を講じているという世間向けのアピールにとどまるのではないか。再発防止など、とても期待できるものではないだろう。

不当な捜査、取調べに関わった関係者と責任者を厳しく処罰する取り決めを盛り込んだ再発防止策でなければ、何の実効性もないことを忘れてはならない。

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役人のトップこそ責任を取れ

役人のトップは、責任を負わないのか。

死者11人と200人を超す負傷者を出した2001年7月の兵庫県明石市の歩道橋事故の控訴審判決公判が6日、大阪高裁で開かれた。

仲宗根一郎裁判長は、兵庫県警明石署元地域官、金沢常夫被告ら2人に禁固2年6月の実刑とした一審・神戸地裁判決を支持し、4人の控訴を棄却した。
県警、市、警備会社の「複合過失」を認定し、
「主催者の自主警備」を原則とするイベントでも、警察が歩道橋など公道上の安全確保の注意義務を負うことを改めて求めた。

警察が安全確保の注意義務を負うのであれば、明石署の地域官だけでなく、署長や副署長も当然責任を負わなければならない。むしろ、署長らのほうが地域官より責任は重いはずである。

ところが、地域官は実刑で、明石署長らは不起訴処分だという。

警察署長は、公訴権を持つ検察とつながりが深いため、このようなふざけた処分で済まされているのだ。警察と検察の腐った持たれ合いである。
上の者が、トカゲの尻尾切りのように役職の下の者に罪をなすりつけてのうのうとしている。


判決理由でも「被告以外の関係者の中には刑法上の過失責任を問題とされる余地がある者も認められる」と、同裁判長が不起訴処分となった当時の明石署長らの刑事責任について、一審より踏み込んで指摘しているである。

それをそのまま黙殺し放置するのは、検察の横暴であり、法治国家に対する挑戦行為に等しい。犯罪者を意図的に見逃す行為は、無実の者を意図的に罰する行為と同じである。

先日判決のあった名古屋刑務所の革手錠使用による受刑者死傷事件でもそうだが、現場の看守ら4人が有罪になったものの、刑務所長ら幹部の責任は、やはり不問に付されている。

国家の組織内で何か問題が起こっても、末端の下級官吏に責任をなすり付け、組織のトップらは何の責任も取らないのが当たり前のようになっているが、このような体質を厳しく批判し、改めさせなければ、民主主義も形だけのものになり、大きなしわ寄せがやがて国民にふりかかってくることをかみしめるべきだろう。


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官尊民卑の打破

法務・検察当局は、冤罪防止にどのような対策を講ずるのか。


全国の検事長が緊急会議・5日に

法務・検察当局は、鹿児島県の選挙違反事件や女性3人が殺害された佐賀県の「北方事件」など無罪判決が続いたことを受け、5日に全国8高検の検事長を集めて「検事長会同」を開催する。被疑者の供述内容を含めた証拠の慎重な検討や警察との連携強化を改めて徹底する。

全国の高検検事長や地検検事正が集まった2月の検察長官会同の直前の1月、富山県で強姦罪で実刑判決を受けて服役した男性の冤罪(えんざい)が発覚。但木敬一検事総長は「二度と起きないように万全の策を講ずる」などと述べた。
                      2007年4月3日 日本経済新聞


冤罪による無罪判決が相次いだことを受けての「検事長会同」の開催であるが、警察、検察による不当捜査、不当起訴は、何も最近に限ったことではない。

もともと、警察は見込捜査が多く、一旦逮捕すると、何が何でも自白させようとする体質を持っている。
また、検察も、客観的な証拠に基づく公平な観点から起訴不起訴を慎重に決定しているわけではない。自白に頼り、警察の捜査の上塗りのような取調べで安易に起訴しているのが実態である。

従って、鹿児島県の選挙違反事件や北方事件、富山県の服役男性の強姦冤罪事件なども、特別な事件ではなく、このような捜査のあり方から、いわば日常的に起こっている事件である。
日常的に起こっている事件であるが、裁判所も自白偏重主義で検察の言いなりのような判決しか出さないため、これまで有罪判決の陰に隠れて表面化しなかっただけである。

刑事事件に対する裁判所の方針が変わったわけではないから、冤罪の防止策としては、当面、不当捜査を行った捜査関係者を厳しく処分することで対処するしかない。

富山県の服役男性の強姦冤罪事件では、県警と検察は冤罪発覚後、無実だと知って罪をでっち上げたわけではなく、取り調べの決まりも破っていないなどとして、関係者は全く処分していない。

また、北方事件では、裁判で取り調べの違法性を厳しく指摘されたが、これに関して検察は「真摯に重く受け止め、今後の糧として適正な捜査に努めたい」と述べた一方、「起訴当時は証拠に照らして有罪立証ができると判断した」と言い、起訴自体に問題はなかったとの認識を示している。
 
鹿児島県の選挙違反事件でも、取り調べ担当の警部補が減給処分で、捜査を指揮した当時の志布志署長と本部捜査二課捜査班長がそれぞれ注意と訓戒という極めて軽い処分であり、本事件を担当した検事はやはり何の処分もなされていない。

冤罪事件が日常的に起こるのは、こうした国家の組織に守られた過保護の体質に原因がある。

庶民は一両盗めば打首だが、武士の不始末は預かりという寛大な処置で済ました封建時代からの悪しき風習が今なお役人の世界では常識としてとおっているが、いやしくも民主主義の現代においては、官尊民卑の思想に基づくこのような理不尽なしきたりは絶対に認めてはならない。

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男の顔

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「五体不満足」の著者でスポーツライターの乙武洋匡さんが、4月から東京都杉並区の小学校教諭に採用されることになった。
スポーツライターの傍ら教員免許の取得を目指し、2005年4月から明星大人文学部の通信課程で学んできたという。

彼の意欲と努力には、全く頭が下がる。私など健康に恵まれながら、怠惰な生活に明け暮れており、恥ずかしいかぎりである。

教員就任会見をテレビで見た。
「率直にうれしい。責任ある立場なので心が引き締まる気持ちです」と教壇に立つ心構えを語っていた。
終始笑顔で、念願だった教員になることへの喜びを隠せない様子で「自分にしかできない指導を心掛けたい。みんなが違っていて当たり前ということを伝えていきたい」と意気込んでいた。

その記者会見を見て、いい顔をしている、と思った。
抱負を語るときの真剣なまなざしと引き締まった表情、涼風を感じさせるようなさわやかな笑顔。
希望と自信に満ちた生き生きとした精神が、顔全体にあふれていた。

最近、自信過剰で、人を見下すような倣岸さを感じさせる堀江被告の表情や、事務所費問題で追及されていた松岡利勝農水相の苦しさにゆがんだ醜い表情を見せ付けられていただけに、なおさらそう感じたのかもしれない。

饒舌に弁解しても、顔がすべての真実を語っている。
男は自分の顔に責任を持たなければならない。

もっとも、こう言うと、
半兵衛!
偉そうなことを言うが、おまえはどういう顔しとるんだ!
その面で人様の顔のことを批判できるのか!
という声が飛んできそうだ
が、苦しい弁解に終始する松岡農水相よりはましな顔だと自負している。

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無神経な堀江被告の態度

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証券取引法違反に問われたライブドアの前社長、堀江貴文被告。
東京地裁で16日、懲役2年6月の実刑判決が言い渡されたばかりだが、全く反省の色が見られない。

翌々日の18日には「サンデープロジェクト」に出演し、「被害者はいない」と発言したことで、損害賠償を求めて提訴している株主被害集団訴訟原告連絡会と同弁護団から抗議声明も出されている。

有罪とされた偽計・風説の流布、有価証券報告書の虚偽記載等の容疑が事実か無実か知らないが、今回の事件で22万人と言われる個人株主に損害を与えたことは事実である。当時の社長として、社会的責任を感じ、謙虚に反省するのが筋ではないだろうか。
被害者はいないなどというテレビでの発言は、損害を蒙った株主につばを吐くような行為であり、いかにも無神経な発言である。

彼の無神経さは、20日に行われた村上ファンド前代表の村上被告の公判でも現われている。
証人として出廷した彼は、自分の公判とはうってかわって、ノーネクタイ姿に白いTシャツに薄紫色のシャツを重ねたいつものラフな格好で出廷している。

逆ではないのか。
自分の公判のときは、裁判官の心証を気にして背広にネクタイ姿で出廷しておきながら、知人の公判の証人では、いつもどおりのラフな格好で出廷する。
自分の公判ならどのような格好で出廷しようが勝手であるが、知人の公判の場合は、服装を改め、失礼のないように気遣うのが礼儀であろう。

日頃、自由奔放に行動し、社会のしきたりにとらわれない生き方をすることを信条としているのであれば、自分の公判だけ、めったに着ない背広にネクタイ姿で出廷するようなけち臭い態度はとらないほうがいい。
こういうところに、真の人間性が現われるのである。

ぼんくらな裁判官でも、そういった点は、しっかり見る。
堀江節を連発して村上被告に有利な証言をしても、そういった堀江被告の態度からは、かえって裁判官の心証を悪くするだけだろう。

かって、
師と仰ぎ兄と慕っていた村上被告を心底援護する気持ちがあるのなら、細かいところにも気を配る配慮が必要だ。

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トラックバックスバム

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諸般の事情でしばらく更新を滞っていた。
一昨日、久々に更新したら、それを待っていたように、80件近いトラックバックスバムが張り付けられた。
忙しい折、関連記事のトラツクバックと区別して、消し間違いのないように公開と削除を行う作業も大変である。

もともと、当ブログには、スバムが多かったが、検察や国税を厳しく批判する記事を書くと、必ずいいっていいほど大量のスバムが来る。
特定ブログ目当ての嫌がらせが目的だろうが、最近沈静化していただけに、久々の大量のスバムには驚くというより懐かしく思えた。

どのような筋の人間か知らないが、何の益もないことに貴重な時間を費やす暇があるのなら、もっと自分のためになることに時間を生かしたほうがいいんじゃないの~。

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警察・検察につけるクスリ

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馬鹿につけるクスリはないというが、警察や検察につけるクスリもないのか。

亡き母の写真持たされ
強いられた自供 富山の冤罪男性証言

富山県氷見市出身の男性(39)が強姦(ごうかん)事件で逮捕・起訴され、有罪判決により約二年間服役した後に無実と判明した冤罪(えんざい)問題で、この男性本人が東京新聞の取材に応じた。男性は県警の取り調べで“自供”に追い込まれた経緯を「取調室で死んだ母の写真を持たされ、『母に、やっていないと言えるか』と迫られた」などと証言。「疑いが晴れても、失った時間は戻らない」と心境を語った。

男性によると県警氷見署の任意聴取に当初、容疑を否認した。しかし母親の写真を持たされるなどした上、刑事から「お前の親族が『お前に間違いない』と言っている」と追及され、「親族からも見捨てられた」と感じて容疑を認めたという。

富山地検高岡支部の弁解録取などで再度否認したが「刑事に『何でこんなことを言うんだ、ばか野郎』と怒鳴られ、今後否認しない旨の“念書”を書かされた」という。

男性は「調べには『はい』『うん』以外の言葉を使わないよう強要された」とも説明。そう答えているうち、サバイバルナイフとされていた凶器が、男性の自宅から見つかった果物ナイフに変えられたという。

公判については「否認する気力はなかった。法廷で謝罪の言葉を口にした時は悔し涙が出た」。

県警と検察は冤罪発覚後、男性に謝罪した。しかし「無実だと知って罪をでっち上げたわけではなく、取り調べの決まりも破っていない」などとして、関係者は処分しない方針でいる。

男性は二〇〇二年三月に氷見市内で起きた強姦未遂事件をめぐり、四月に氷見署で任意聴取を受け、三回目の聴取で容疑を認めて逮捕された。同年一月に起きた別の強姦事件でも起訴され、懲役三年の判決を受けた。約二年間服役し、〇五年一月に仮出所。

ところが〇六年十一月、ほかの事件の容疑者が、男性による犯行とされた二事件について自供した。県警は〇七年一月、男性の無実を発表している。

■無実知らず父親も死去
「人目が怖い」-。無実の罪で服役させられた男性は、富山市内で応じた取材でそう繰り返した。冤罪なのにそれを口に出せず、仮出所後も前科者とささやかれた苦しさ。職や住居を転々とし、世間から姿を隠した。

福井刑務所を仮出所した二〇〇五年一月、一面の雪景色が目に飛び込んできたという。「これからどう生活すれば…」。身元引受人は親族ではなく、福井市の更生施設に頼んであった。

再出発の住まいは、六畳の和室。仕事を紹介され、ごみ選別や土木作業に出向いたが、「後ろ指さされている気がして」長続きしなかった。不安が募り、カッターナイフを手首に当てたことも。半年後に施設を出た。

そんなある夜、思い立って故郷を目指し、電車に乗った。有り金をはたいて富山県の高岡駅までは切符を買い、そこから氷見市の故郷まで二十キロ余りを夜通し歩いた。空き家になっていた実家は鍵が掛かっていたためトイレの小窓から中に入り、水を飲んで過ごした。三日後、顔見知りの女性に頼んで米をもらい、食事にありついた。

拘束されて最も悔いが残るのは、父親の死に立ち会えなかったことだったという。拘置所で「悲しみながら亡くなった」と聞かされ、一日泣いた。

仮出所直後、一度だけ墓参した。「生きていてほしかった」「自分はやっていない」。墓の前で話しかけたという。

誤認逮捕された男性を、検察官も弁護士も裁判官も救えなかった。男性は「弁護士は真剣にやってもらいたかった。裁判官には、調書をおかしいと思わなかったか聞きたい」と話した。
(富山支局・林啓太、北陸報道部・加藤裕治)
                        2007年3月18日東京新聞



「県警と検察は冤罪発覚後、男性に謝罪したが、無実だと知って罪をでっち上げたわけではなく、取り調べの決まりも破っていないなどとして、関係者は処分しない方針でいる」という。

関係者を処分しないのは、捜査のやり方が間違っていなかったからということになるが、それならばなぜ謝罪するのか。捜査関係者が正しければ、そもそも謝罪する必要もないではないか。

国家権力を背景にした組織に守られて好き勝手なことをやっているこういう連中こそ、拷問にかけて罪を認めさせなければならない。


こんな連中が警察や検察に存在して、税金から給料をぶんどっていること自体が、犯罪だ!!

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東京高裁による意味不明な麻原弁護団の懲戒請求

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東京高裁が、オウム真理教麻原彰晃(松本智津夫)の控訴審で弁護人を務めた2名の弁護士の懲戒処分を弁護士会に請求した。

「職責に背き、迅速な審理を妨げて被告の利益を著しく損なった」ことが請求理由だそうだ。
その上で「裁判員制度導入を前に、弁護士の法廷倫理確立が必要とされている。両弁護士の行為を違法と明確にすることが国民に対する弁護士会の責務」だと指摘しているという。
関連記事<控訴審妨害で東京高裁 麻原弁護団の懲戒請求>
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070308/mng_____sya_____009.shtml

両弁護士は、麻原死刑囚の訴訟能力の審理が不十分だと主張し、2005年8月末の期限までに控訴趣意書を提出しなかった。
このため東京高裁は、昨年3月控訴を棄却し、同年9月には最高裁が特別抗告を棄却して、麻原彰晃の死刑が確定した。

この件で東京高裁は、この10日後、「弁護人は訴訟の進行を妨げ、被告の裁判を受ける権利を奪った」として日弁連に処置請求していたが、日弁連は、今年2月15日に、「裁判が終わってからの処置請求は認められない」として2人を処分しない決定をしていた。

東京高裁はこの決定を批判し、このほど2人の所属する弁護士会に新たに懲戒請求をしたものである。
関連記事<麻原弁護団処分せず 東京高裁の処置請求 日弁連が退ける >
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/news/2007/0216-7.html

東京高裁の言い分は、意味不明である。
「弁護人は訴訟の進行を妨げ、被告の裁判を受ける権利を奪った」から、担当した弁護士を懲戒請求すると言っているが、裁判を受ける権利を奪ったのは、ほかならぬ東京高裁ではないか。

両弁護士は、麻原死刑囚の訴訟能力の審理が不十分だと主張して、控訴趣意書を提出しなかったのであり、東京高裁は、それを提出しなかった経緯について議論することなく控訴を棄却した。そのため、麻原彰晃の死刑が確定したのである。
裁判を受ける権利を奪ったのは、弁護人ではなく、東京高裁だろう。

「迅速な審理を妨げた」だと。
笑わせるな!

弁護人が期限までに控訴趣意書を提出していれば、二審の裁判も、一審のときのように、また10年ぐらいかかっただろう。
控訴趣意書が期限までに提出されなかったからこそ、裁判が迅速に終わって死刑が確定したのではないのか。

「被告の利益を著しく損なった」だと。
控訴審が行われていれば、被告の利益になる判決を出すつもりだったのか。馬鹿も休み休み言え!

高裁の裁判官も、どっちみち死刑以外の判決を出すつもりなどなかったくせに、何を善人ぶって心にもないことをほざくのだ。

意図的な裁判遅延行為かどうかはわからないが、弁護人の行為は、被告麻原の利益を考えて行った行為である。
一方、東京高裁は、麻原の不利益になることがわかっていて控訴を棄却したのだ。被告の利益を著しく損なったとして懲戒請求されるべきは、控訴を棄却した東京高裁の判事の方ではないのか。

直接の不利益を蒙った麻原彰晃が、担当した弁護士を懲戒請求するのならば話もわかるが、控訴を棄却して死刑を確定させた東京高裁が、被告の弁護士の懲戒請求をするというのは、盗人猛々しいというものである。

もともと、麻原彰晃の早期の死刑確定は、国民みんなの願いだったはずである。控訴だ、上告だといって、更に10年も20年も延々と裁判を続けることを願う者など、オウムの関係者か、ごく一部の支援者ぐらいだろう。
被害者やその遺族はもとより、国民の大半が麻原の早期の死刑確定を願い、その希望にそって控訴を棄却しておきながら、今更担当弁護士の懲戒請求はないん
じゃないの。

裁判所も国家権力の一つだから、弁護活動を委縮させるような効果をもつやり方の懲戒請求は、絶対に認めてはならないと思う。

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鹿児島選挙買収 地検が控訴断念方針

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控訴断念は当たり前であり、関係者の処分は軽すぎる。


12人全員無罪確定へ 鹿児島選挙買収 地検が控訴断念方針


被告十二人全員に無罪判決が言い渡された鹿児島県議選の公選法違反(買収)事件について、鹿児島地検は六日までに控訴を断念する方針を固めた。福岡高検や最高検と協議を進めており、近く正式に控訴断念を決め、公表する。控訴期限は九日で、全員の無罪判決は十日に確定する。

二月二十三日の鹿児島地裁判決が、事実認定や証拠面を含め検察側の主張を全面的に退けたことから、控訴して逆転有罪判決を得ることは困難と判断したとみられる。

検察側は、二〇〇三年四月の県議選に立候補し当選した同県志布志市の元県議中山信一さん(61)が、選挙前に支援者宅で四回の会合を開き、投票の依頼や票の取りまとめをめぐり現金計百九十一万円の授受があったとして、中山さんら十三人(うち一人は公判中に死亡)を起訴した。

判決は、捜査段階で自白した六被告の調書について「強圧的な取り調べに迎合し、苦し紛れに供述した可能性がある」と信用性を否定。「客観的証拠は全くなく、買収会合の存在そのものが疑わしい」として、十二人全員に無罪を言い渡した。

判決後、鹿児島県警の久我英一本部長は「大変厳しい判決と受け止めている」と県議会で答弁。漆間巌警察庁長官は記者会見で「当時の捜査指揮がどう行われていたか、警察庁としても検証したい」と述べた。

事件をめぐっては、中山さんの親族で志布志市のホテル経営川畑幸夫さん(61)が任意聴取を受けた際、捜査員に家族の名前が書かれた紙を無理やり踏まされる「踏み字」行為を受けたとして提訴。鹿児島地裁が取り調べの違法性を認め、県に六十万円の賠償を命じた判決が二月に確定した。

県警は取り調べ担当の警部補を減給処分に、捜査を指揮した当時の志布志署長と本部捜査二課捜査班長をそれぞれ注意と訓戒にした。

■控訴断念当たり前
無罪判決を受けた十二被告の一人、元鹿児島県議中山信一さん(61)の話 検察の控訴断念は当たり前だ。事件は元からなかった。警察は捜査経過をきちんと検証し、組織の上に立つ人間の責任も明確にしてほしい。
                       
2007年3月6日東京新聞


判決後、鹿児島県警の本部長は「大変厳しい判決と受け止めている」と県議会で答弁したというが、
何が厳しい判決か理解に苦しむ。

本事件は、あまりにもひどい見込み捜査によるでっち上げであり、無罪判決は当たり前である。これが有罪なら、わが国も法治国家の看板を下ろさなければなるまい

取り調べ担当の警部補が減給処分で、捜査を指揮した当時の志布志署長と本部捜査二課捜査班長がそれぞれ注意と訓戒だとは、呆れてものが言えない。

注意や訓戒などというのは、本人に向かって、「これから気をつけましょうね」というだけではないか。
また、減給処分というが、給料をいくら減らすつもりだ。公判中に死亡したり、職自体を失って、給料など一銭ももらえなくなったりした被告もいるだろうに、この期に及んでも、まだ給料を取り続けるつもりか。
こういうのを
税金どろぼうというのである。

最近、事故を起こさなくても、飲酒運転をしただけで、職員を懲戒免職にしている自治体も多い。
被告らの蒙った捜査での仕打ちや勾留期間、ほぼ4年にわたる苦しい裁判生活等を考えると、捜査関係者は全員懲戒免職でも、決して重過ぎる処分ではない。

それに、直接取調べに当たった警部補より、組織内で責任の重い署長や本部の捜査班長のほうが処分が軽いというのも、理不尽な話である。

更に、このようなデタラメな捜査によるでっち上げ事件を起訴し、うその証拠により無実の人間を陥れようとした検察官らの処分が何ら発表されないというのも、民をなめくさっている。

税金どろぼうには、国民みんなでげんこつを食らわせやれ!!

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袴田事件:1審で判決文、元裁判官「無罪の心証」

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袴田事件:1審で判決文、元裁判官「無罪の心証」 死刑囚の姉に謝罪

静岡県清水市(現静岡市清水区)で66年6月、みそ製造会社専務一家4人が殺害された「袴田事件」で、袴田巌死刑囚(70)の再審開始を求める支援団体は2日、68年に1審の静岡地裁で死刑判決を書いた元裁判官が「無罪の心証があった」と明らかにしたと発表した。元裁判官が自分のかかわった裁判について言及するのは極めて異例。

同団体によると、元裁判官は1審で主任裁判官を務めた熊本典道氏(69)=九州在住。昨年1月中旬に本人から支援者に連絡があり「心ならずも信念に反する判決を出した」とする手紙が届いたという。手紙で熊本氏は自白を取った方法や信用性、また凶器とされるクリ小刀と袴田死刑囚との結びつきに疑問を呈し、合議体(3人)で行われた当時の審理で無罪を主張し、1対2で敗れたことを明らかにした。

支援者らは1月下旬から3回、九州のレストランなどで面談。熊本氏は袴田死刑囚の姉秀子さん(74)の両手を取り「私の力が及ばなくて申し訳ありませんでした」と涙ながらに話し、地裁の公判中に石見勝四裁判長(故人)に「まるで私たちが裁かれている裁判ですね」と伝えたと振り返ったという。

判決後も一日も事件のことを忘れた日はなかったといい、今年70歳になるのを機に明らかにすることを決めたという。裁判所法で漏らしてはならないと定められている「評議の秘密」を明らかにするのは守秘義務違反となる可能性もあるが、熊本氏は「承知している」と答えたという。

弁護団長の西嶋勝彦弁護士は「元裁判官の証言は判決が間違っていたと分かる人が増えることにはつながるが、新証拠ではない。再審となっても証人申請するつもりはない」としている。

熊本氏は死刑廃止を推進する議員連盟(代表・亀井静香衆院議員、74人)が9日午後1時から衆院第1議員会館で開く勉強会後に記者会見する。【稲生陽】

 ■ことば

 ◇袴田事件

66年6月に静岡県清水市(現静岡市清水区)でみそ製造会社専務一家4人が殺害された強盗殺人事件。静岡県警は同年8月、元プロボクサーで同社従業員の袴田巌死刑囚(70)を逮捕。公判で袴田死刑囚は否認を続けた。1審の静岡地裁は68年9月、45通の自白調書の44通を証拠から排除した上で死刑判決を言い渡した。80年に最高裁が上告を棄却し、死刑が確定。弁護側は81年に再審請求したが同地裁は94年に棄却。東京高裁への即時抗告も04年に退けられ、最高裁に特別抗告している。
                  
毎日新聞 2007年3月3日 東京朝刊


元裁判官の熊本氏は、この40年の間に、自分の子供のことや親のことを思い出せない日はあっても、袴田死刑囚の手錠を外されて被告人席に来たときの顔や判決(死刑)言い渡し日のガクンときた姿は、一日たりとも忘れたことがなかったと言う。
また、
「これは、(担当裁判官の)僕ら3人が裁かれているようなものですね」
と、感想を述べていた。

袴田死刑囚は刑が確定した後、獄中から一人息子に手紙を送っている。
「必ず証明してあげよう!」
「お前のチャン(父親)は決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを」

袴田死刑囚に今会えるとしたらどんな言葉を?という質問に、熊本氏は、
「おそらくね、言葉はないと思う・・・・。15分なら15分、目の前で頭を下げて泣いているしかないと思います」
と、ただ嗚咽するばかりであった。

合議制で判決を下した他の二人の裁判官はすでに死亡し、残された一人の裁判官は無罪を確信しておりながら、なぜ、袴田死刑囚を救えないのか。

退官覚悟で再審の扉を開く勇気を持つことを、同じ人間である最高裁の判事に強く訴えたい。

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警察官の地道な仕事ぶりに高い評価を

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宮本警部遺族に叙勲伝達

東京都板橋区の東武東上線で女性を保護しようとして電車にはねられ死亡した警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦警部(当時53=巡査部長から2階級特進)への緊急叙勲の伝達式が1日、板橋署であった。

式には宮本警部の妻礼子さん(53)と長男篤史さん(20)が出席。礼子さんらに正7位と旭日双光章の位記・勲章が手渡された。礼子さんは「あらためて夫の行為を誇りに思います。これまで全国から寄せられたお見舞い、激励、弔意など温かいご芳情に心から感謝しています」とのコメントを出した。
                      2007年3月2日 日刊スポーツ


宮本警部の冥福を祈り、同署や交番に記帳を寄せた人は9600人に達し、警視庁にも事故発生直後から、宮本警部の回復などを祈る電子メールや電話などが約370本寄せられており、メッセージを寄せた人は計約1万人に上るということも伝えられていた。

宮本警部は、生前からその仕事ぶりと人柄により、地域住民にも好かれ、市民の生命と財産の安全に大きく貢献していたという。
が、その仕事ぶりと人柄が広く知られ、高く評価されたのは、皮肉にも亡くなってからというのが、返す返すも残念でならない。

だが、宮本警部だけでなく、地域住民から高い信頼を得る仕事を日々地道に行っておりながら、警察幹部からほとんど評価されていない現場の警察官が多くいる現実にも、我々は目を向けなければならない。

もう、20年ほど前のこと。
私は、三重県の尾鷲市方面に鑑定の仕事で出かけたことがあった。
当時は、高速道路も整備されていなかったので、名古屋から尾鷲まで車で数時間かかった。

評価対象地が複数で、山間部の物件もあり、帰路に着いたのが遅くなった。夜の峠道はわかりにくい。ナビも携帯電話もない時代である。

車でいくら飛ばしても、町が出てこなかった。夜の10時近くになっても、まだ、山中の峠道を走っていた。どうやら、道に迷ったらしい。
疲れと眠気と空腹で、これ以上運転できない状態に陥った。私は、心細くなり、途方にくれた。

その時である。駐在所の灯りが見えたのだ。
声をかけると、しばらくして奥から朴訥とした若い警察官が出てきた。30歳の半ばぐらいだろう。
出てくるまで多少の時間がかかったのは、すでに休息を取っていたからかもしれない。


私は、事情を説明し、食事をして宿泊できるところを尋ねた。
その警察官は、私の素性の概略を尋ねた後、電話をして宿泊できる民宿を探してくれた。
だけでなく、今から案内すると言う。

これで宿泊場所は確保できた。だが、こんな時間に、食事ができるだろうか。
「できるじゃろう」
私が尋ねると、その警察官が答えた。

彼の自家用車と思しい車の後について、民宿に着いた。
部屋に案内され、一息ついたが、しばらくすると、民宿の係りの者が、申し訳なさそうに食事を切らしてしまったことを伝えに来た。
そして、
「先ほどのおまわりさんが、食事するところをご案内するとのことです」
と言い、しばらく待つように言われた。

その警察官の先導で着いたのは、とある集落の食堂だった。
「民宿まで1人で帰れるかいの」
心配そうに、彼は訊ねた。
「もう、だいじょうぶです。道を覚えておりますので」
私は礼を言って、彼を帰した。

その食堂で、遅くなった夜食を注文して待っていると、隣の席で一杯やっていた地元の者が声をかけてきた。
「あのおまわりさん、親切じゃろう?」
1人が言うと、向かい側の者も杯を持ったまま話しかけてきた。
「若いのに、よく働いてくれる。休んどるときも、なんかあれば惜しまず動いてくれる。そういう費用なんかも、ほとんど持ち出しだよ。本署の連中など、そんなことぜんぜんわかってないんだ、大変だよ。地元の者は、みんな感謝しとるけどね」
そう言って、その者は杯を煽った。

翌日、民宿を出て、私はそのまま帰ってしまった。
駐在所に寄って一言礼を言おうと思っていたが、仕事が立て込んでいたため急いで次の現場に向かったのだ。
仕事が一息ついたら、礼状を出そうとも思っていたが、それも失念してしまった。


だが、20年以上も前のことながら、朴訥としたその警察官の当時の厚情は、今でも昨日のことにように、はっきり覚えている。

上下関係の厳しい警察組織で階級を上げるには、一にも二にも、昇任試験に合格することが条件である。
失礼な言い方かもしれないが、私が厚情を受けた三重県のその警察官も、おそらく階級は巡査部長どまりではないかと思っている。

日頃の業務をなおざりにし、有休をしっかり取って昇任
試験に専念し、階級を着実にあげていく警察官が多い中、彼や宮本警部のように、地域住民の生命と財産の安全のために日夜奔走し、昇任試験を受けられないまま、生涯、巡査長や巡査部長で現役を終える警察官もいるのである。

最近、警察官による犯罪が日常茶飯事になっているが、殉職による階級特進ではなく、現役中の仕事ぶりで評価する制度を設けなければ、警察官の質は、ますます悪くなっていくだけではないだろうか。

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医師無罪:民事と逆判断

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刑事と民事で逆判断。
刑事では過失はないと判断し、民事では過失の一部を認めて損害賠償の支払いを命じた。

昨日の記事に続く無罪判決ニュースである。


産婦人科医に無罪判決 出産直後の死亡事故で名古屋地裁

名古屋市港区の産婦人科医院で00年、出産直後の主婦(当時31)が死亡した事故で、医療ミスがあったとして業務上過失致死の罪に問われた医師桑山知之被告(48)の判決公判が27日、名古屋地裁であり、伊藤新一郎裁判長は無罪(求刑罰金50万円)を言い渡した。

判決によると、主婦は00年8月31日午前、同医院に入院。男児を出産した直後に大量に出血し、同日夜に出血性ショックで死亡した。

公判では、子宮の出口にある子宮頸管(けいかん)が裂けていたのが原因で出血性ショックに陥ったのかどうか▽施設や人員が整った大病院への搬送を怠ったと言えるかが主な争点だった。

検察側は「子宮頸管裂傷を見落としたうえ、早期に転院させる決断をしなかった過失がある」と主張。弁護側は「子宮頸管裂傷は存在せず、検察側が指摘する時点で転院させても救命できなかった」と反論していた。

事故をめぐっては、遺族が冷凍保存していた遺体を愛知県警が司法解剖し、桑山被告を01年11月に書類送検。桑山被告は03年8月、名古屋簡裁で罰金50万円の略式命令を受けたが、無罪を主張して正式裁判を求めた。

遺族は、桑山被告らに損害賠償を求める民事訴訟を起こし、名古屋地裁は昨年9月、約7700万円の支払いを命じた。民事の判決は、子宮頸管裂傷の存在を認めず、転院が遅れた点について責任を認めた。桑山被告は判決を不服として控訴している。
                         2007年2月27日 asahi.com


刑事と民事で逆判断は、私の一審と同じである。
但し、私の場合は刑事が有罪で民事が私の主張を認めたのであるが、事実認定があまりにもデタラメだったため、控訴審で私のその一審刑事判決は破棄されている。
この破棄されたデタラメ判決を下したのが、今回無罪判決を言い渡した伊藤新一郎裁判官だ。

今回はまともな判決かどうか、過失の有無が争点なだけに、いいかげんなコメントはできないが、人ひとり死亡した事件で求刑が罰金50万円というのは、いかにも軽い感じがする。

私の事件では、被害者と称する税務職員は何の怪我もしていないどころか、私のつぼまで割って遁走しておきながら、量刑は同じ罰金50万円だ。

してみると、被害者の遺族の気持ちはおさまらないかも知れないが、もともと検察の立件自体に無理があったのではないだろうか。

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愛知・瀬戸の業者逆転無罪

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故意を認めた裁判官が、故意を認めなかった。


愛知・瀬戸の業者逆転無罪 名高裁、故意と認められず

建設業許可の更新時に虚偽の申告をしたとして、建設業法違反の罪に問われた愛知県瀬戸市の土木建築会社「中部建設」と社長の李思九被告(71)の控訴審の判決公判が26日、名古屋高裁であった。門野博裁判長は「故意に虚偽の申告をしたとは認められない」として、それぞれ罰金30万円とした一審・名古屋簡裁判決を破棄し、同社と李被告にいずれも無罪を言い渡した。

判決理由で門野裁判長は、李被告らが「当時の社長が約2年前に傷害罪で罰金刑を受けていたことは知っていた」としながらも「5年以内に有罪が確定した役員がいる場合は許可申請できない、という条件を明確に認識していたとは言えない」と判断。「あえて罰金刑を受けた社長をそのままにして虚偽の申告をしなければならなかった理由もない」とも指摘した。

同社と李被告は2002年9月、県に建設業許可の更新を申請する際、当時の社長が2000年6月に罰金刑を受けていたことを隠し、虚偽の略歴書などを提出して許可更新を受けたとして05年9月に起訴された。

李被告らは捜査段階から「許可申請できない条件を知らなかった」と一貫して無罪を主張。昨年6月の一審判決は「申請できない条件を認識していた」として求刑通り同社と李被告にそれぞれ罰金30万円を言い渡し、弁護側が控訴していた。

久保田明広・名古屋高検次席検事の話 予想外の判決。判決内容を慎重に検討し、適切に対処したい。
                            2007年2月27日中日新聞


無罪を言い渡した名古屋高裁の門野博裁判長は、私の控訴審を担当した裁判官だ。
私の事件では、一審において認定した起訴事実を否定して一審判決を破棄しながら、控訴審で訴因を変更した検察側の主張に沿って故意を認め、罰金刑を言い渡した。
被害者を自称する竹山孝財務事務官(特別国税調査官)の身体に向けてカセツトテープを投げたのではないという事実を認めながら、方向の違う傍らのパーティションにぶつけても、同財務事務官に対する暴行の故意は認められるというのである。

過失を罰する事件なら、外形的事実だけで客観的に判断できるが、故意が犯罪の構成要件になっている場合は、表に表れない内心の問題だけに、裁判官の推量でどうにでも認定できてしまう。

ほとんどの裁判官は、確固たる信念を持っていないただの公務員である。
事件の背景や世論の動向に流されやすいだけに、警察・検察による不当な見込み捜査等に対しては、声を大にして常に厳しく批判することを忘れてはならない。

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タクシー運転手との心のふれあい

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一昨日のこと。
同業者との飲み会があり、二次会、三次会を経て帰りが深夜になった。
タクシーを拾って帰宅したが、その運転手が私を覚えていたのである。
以前、その運転手のタクシーに乗って帰ったことがあったのだ。

タクシーチケットを利用しているが、複数の提携企業からなる大手のタクシーグループのチケットだから、同じ運転手に会う確率はきわめて低い。

特定の営業所から乗った場合ならばともかく、街で拾ったタクシーで、まず同じ運転者に当たることはない。私も、いままで多くのタクシーに乗ったが、街で拾ったタクシーでは、これまで一度も同じ運転者に当たったことがなかったのである。

タクシーに乗って、私から話しかけることはほとんどない。話しかけられたら答える程度である。タクシーに乗るのは終電後の飲み会帰りがほとんどなので、乗車しても、行く先を言い、すぐにうとうとしてしまう。途中、間違えやすいところで、事前に道案内する程度である。

その日、途中で、助手席の後ろに掲げてある運転手の名前に見覚えがあるような気がした。特別変わった名前ではない。平凡などこにでもあるような名前である。どこにでもあるような名前に見覚えがあるような気がするのは、以前この運転手のタクシーに乗ったことがあるからだろうか。

しかし、注視すると、その名前の下には、
「新人ですので、道案内はお早めにお願いします」
と、書いてあった。
新人ならば、以前に乗車したことはないかもしれない。それにしては、運転手の年齢は60歳前後で落ち着きがあった。背を向けているため、顔ははっきりわからないが、話し方に親しみも感じられた。

私は、それ以上考えることをやめ、
「もうしばらくすると、信号がでてきますので、そこを左に曲がってください」
と指示した。
すると、返事の後、
「お客さん、以前もお送りしたことがなかったでしょうか」
と、その運転手が話しかけてきたのである。
そして、次の信号を曲がった後、一つ目の信号を更に左に曲がり、まっすぐ行って突き当たったところで左に曲がり、少し行ったカーブの手前辺りのおうちではなかったでしょうか、と具体的に説明してきたのである。

「やはり、そうでしたか。私も運転手さんのお名前に見覚えがあるような気がしたのですが、新人と書いてありますので、まさかと思っていたのです」
「いえいえ、もう20年以上のベテランですよ」
運転手は、頭を掻いた。
「最近は、せち辛い世の中になりましてね。道をちょっと間違えただけで、タクシー代を払われないお客さんも見えるんですよ。先日も、安城の方でありましてね。道を1本間違えただけなんですが」
運転手はそう言って、にが笑いした。
「お客さんは、お乗せして、話し方ですぐわかりました」
以前会ったことがあるということが、である。親しみのこもった話し方だった。

私は多くを話さないし、話し方に特徴があるわけでもない。なぜ、断片的な話し方だけで気づくのだろうか。
そういえば、ありふれた名前でありながら、私もこの運転手の名前を記憶していたのである。

家に着くと、
「いつも、ありがとうございます」
と、
なんども礼を言い、
「お疲れさまです。お休みなさいませ」
と、丁寧に挨拶をする。
タクシーを頻繁に利用する上得意客でもなく、乗車運賃も三千円程度である。チケットだから、つり銭をチップとして払うこともない。それなのに、真摯に応対するその姿勢に、私はすっかり恐縮してしまった。

門をくぐってから、タクシーが帰っていくのを確認した。
そのタクシーは来た道を戻らず、近道を通って名古屋方面へ向かったようだ。

私の自宅は、通りからかなり奥まったところにあり、ちょっとわかりにくい。そのため、タクシーで帰るときは、運転手が帰りの道を間違えて困らないよう、遠回りになっても、いつも、わかりやすい道を案内して帰るように努めている。

以前、そのタクシーを利用したとき、私のその心配りに気付いてくれたのだろうか。

人と接触するたびに不愉快な思いをすることが多い今日この頃だが、この日は、久々に心と心の温かいふれあいを味わった。

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志布志事件 12被告全員に無罪判決

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無罪判決ニュース。

03年の鹿児島県議会議員選挙をめぐる選挙違反事件、いわゆる「志布志事件」の判決公判が23日、鹿児島地裁で行われ、被告全員に無罪判決が言い渡された。事件では小さな集落の住民ら13人が逮捕・起訴されたが、全員が無罪を主張した。物的証拠は一切ない中で、自白の強要など違法な捜査が行われた疑いも浮上し、判決が注目されていた。

無罪判決を受けたのは、元県議・中山信一被告ら12人。この事件は、03年の鹿児島県議会議員選挙に絡み、初当選した中山被告が志布志市の山あいの集落に有権者を集めて4回の買収会合を開き、191万円の受け渡しをしたとされたもの。主な争点は、捜査段階で自白した6人の供述の信用性と、事件の中心人物とされた中山被告のアリバイだった。

23日の判決公判で、鹿児島地裁・谷敏行裁判長は「自白した6人の供述は事実と異なり、内容的にも不自然で不合理」と指摘した。また、中山被告のアリバイについても「客観的な証拠に基づき、信用性が高い」として、被告12人全員に無罪判決を言い渡した。          2007.2.23

「四回の買収会合は開かれておらず、現金の授受は一切なく、事件は県警と検察のでっち上げだ」と主張していた弁護側に対し、検察側は「取り調べに当たった警察官らを証人に立て、自白は自発的だったと主張。論告でも自白は具体的かつ詳細などとして、信用性が高いことを強調」していたという。

警察官のように、取調べに当たった当局側の人間を証人に立てるような事件は、まず冤罪とみてよい。
裁判所は、被告人の親族を目撃者として証人に立てても、その証言の信用性を認めないが、同じ身内でも立証する当局側の証人の場合は、その証言の信用性を容易に認めてしまう。

その裁判所が、検察側の証人の証言の信用性を認めなかったのだから、よほどひどい捜査だったのだろう。 

「事件をめぐっては、中山被告の親族で別の買収容疑で逮捕された後、不起訴処分になった川畑幸夫さん(61)が損害賠償を求めた訴訟で、鹿児島地裁は一月、県警警部補が川畑さんの足をつかんで家族の名前を書いた紙を踏ませるなど暴力的な言動で自白を迫った違法性を認定し、県に六十万円の支払いを命じた。
県は控訴せず、判決が確定。県警は二十一日、この警部補を減給処分にした。ほかにも男女八人がうその自白を強要されたと提訴し、審理中」
だという。

有力な物証もなく、「自白偏重」で押し切った不当な捜査による冤罪が、またひとつ明るみに出た。
違法な取調べを行った警部補を減給処分にするだけでなく、ウソを塗り固めて被告人の人権を踏みにじった検事らも、厳しく処分すべきだろう。

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皇室は最後の抵抗勢力発言

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皇室は最後の抵抗勢力!
小泉前首相がそう叫んでいたと、サンデー毎日が取り上げていた。

女系・女性天皇を容認する皇室典範改正案につき、
「今国会で必ず上程する。上程は構造改革の一環だ」、
「皇室は最後の抵抗勢力だ」
と、自民党幹部の会合で言い放ったというのである。

1年ほど前の話だから、なぜ、今頃という思いがなくもない。真偽のほどはわからないが、事実であれば小泉前首相の知性や人間性を問題にしなければならないだろう。

小泉前首相については、私は以前書いたブログ<小泉前総理の靖国参拝を斬る>http://hanbei.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5a2b_3.htmlで、希代の食わせ者と表現した。
天皇に対して敬意の念が薄いことは以前から指摘されてはいたが、彼のことは、在任中の言動から、裏表があり、張ったりだけで政治理念の全くない薄っぺらな政治家で、自分の名声のためなら氷のように非情になれる独裁者と見ていたから、今回発覚した「皇室抵抗勢力」発言も、正直全く驚かなかった。

驚かなかったが、特別な皇室擁護論者でない私でも、非常に礼を欠いた発言だと思う。

万世一系の天皇制を定めた皇室典範の改正は、官僚機構の構造改革とは意味合いが違う。
長い歴史のある日本の伝統であり、文化である。その伝統、文化が、仮に現代社会にそぐわなくなったとしても、それを改めるには、多くの国民の意見も聞き、十分な時間をかけて議論する必要があるのではないだろうか。

そういった意味合いのある皇室典範改正案でさえ、「今国会で必ず上程する。上程は構造改革の一環だ」といって自分の考えを押し付け、その考えがすんなり通りそうもないと、「皇室は最後の抵抗勢力だ」と言い放つとは、傲慢の極みと言うべきだろう。


以前、秋篠宮ご夫妻の男子誕生をめぐる乙武洋匡さんのコメントで、彼のブログが炎上した事件があった。私もそのブログを読んでみたが、彼が本心で出産をめでたくないなどと考えているわけではないことは、文脈から容易に読み取れた。
それでも、言葉尻のみを捉えて、激しい非難のコメントが集中したことに驚いたものだが、今回発覚した小泉前首相の発言は、どうみても、うっかりした言葉尻程度の問題ではない。
そのとき以上の激しい非難が集中するのだろうか。

先頃改正された教育基本法には、愛国心教育の目標として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」があげられている。

安倍総理の支持率が下がりっぱなしで、今年の参院選に自民党が負ければ小泉前首相の再登板が噂されているが、仮に、また小泉総理の誕生となった場合、日本の伝統と文化を軽んじ、「皇室は最後の抵抗勢力」とみて、構造改革をするのだろうか。


小泉君~、これ以上日本を壊さんでくれ!ぶっ壊すのは、自民党だけでたくさんだ!!

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契約書作らず映画制作 裁判員制度PRで最高裁

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訴訟を審理して、罪となるかならないか、正しいか正しくないかを法律を適用して定めることを仕事とする裁判所が、自らその法律を破るとは。


契約書作らず映画制作  裁判員制度PRで最高裁

最高裁が9日に完成したと発表した裁判員制度PR映画「裁判員」の制作をめぐり、昨年9月に広告会社と契約を結んだとホームページ(HP)で公表しながら、契約書を作成していないことが19日、分かった。広告会社は企画案で選ばれ、契約額は約6800万円とされる。

会計法は「契約書に記名押印しなければ契約は確定しない」と規定。1960年の最高裁判決は「国の契約は契約書作成で初めて成立する」との解釈を示しており、自ら判例に違反した形だ。最高裁は「契約書は現在決裁中」としている。

衆院予算委員会で同日午後、保坂展人議員(社民)が経緯を質問する。最高裁は「裁判員フォーラム」でも、広告会社との契約書を開催後に作成していたことが明らかになったばかり。

9日の最高裁の発表やHPなどによると「裁判員」は60分の作品で、昨年制作した「評議」に続く第2弾
                       (共同) 2007年02月19日 14時19分


「契約書に記名押印しなければ契約は確定しない」と法律に規定されており、最高裁の判決で「国の契約は契約書作成で初めて成立する」との解釈まで示しておきながら、自らそれに違反するとは、誠に恐れ入った次第である。

しかも、その言い訳がまた奮っている。
「契約書は現在決裁中」だというのである。
昨年9月に広告会社と契約を結んだというのだから、すでに半年程度経過している。PR映画も完成したと発表している。

半年前に契約し、PR映画も完成していて、何が「決裁中」なのだ。決裁というのは、権限を持つ者が、部下の出した案を決めることを言うのだが、最高裁では、案が決まり、契約を結んで履行された後に、契約書を作成することを「決裁」と呼ぶらしい。

私事の民事訴訟の控訴審判決が先月末にあったばかりだが、この判決書でも、一番最初に書かれている判決言渡日が間違って書かれているというお粗末なものであった。

名古屋高等裁判所民事第3部
    裁判長裁判官 青 山 邦 夫
         裁判官 坪 井 宜 幸
         裁判官 田 邉 浩 典
と、立派な名前が三人も並んでいるが、最初に書く判決言渡日すら確認しないような裁判官の書いた判決書など、馬鹿らしくて内容を詳しく読む気にもなれない。

刑事、民事とも、現在上告して争っているが、自ら法律や判例に違反し、「決裁」の意味さえ理解できないような最高裁では、私の裁判も先が見えたということ
か。

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無罪判決ニュース

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二件の無罪判決ニュースがあった。

半年拘置の女性無罪 証拠の筆跡「別人」 詐欺事件で札幌地裁判決  

札幌市内の知人男性(63)から二百万円をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた無職女性(32)の判決公判が十五日、札幌地裁であり、井上豊裁判長は「犯罪の証明がない」として、女性に無罪(求刑・懲役二年)を言い渡した。

判決などによると、二人は札幌・ススキノのスナックの従業員と客として知り合った。二○○二年十一月、男性は「女性にスナック開店資金として、二百万円を詐取された」と道警に被害届を提出した。札幌中央署は昨年四月、詐欺容疑で女性を逮捕し、同年五月、札幌地検が起訴した。

女性は捜査段階から「二百万円を受け取っていない」などと一貫して無罪を主張してきた。

公判では、二百万円の借用証書とされた書類の筆跡が争点となった。検察側の鑑定は「女性のものである可能性が高い」としたが、弁護側は「女性が書いたとは判定できない」とする鑑定結果を出していた。

判決理由で、井上裁判長は書類の筆跡について「女性でない人が書いた可能性が高く、男性の証言にも不自然な点がある」と指摘した。

女性は昨年四月から十月まで約六カ月間、拘置されており、弁護人の秀嶋ゆかり弁護士は「被害者の供述に頼った捜査の在り方には非常に問題がある。逮捕、拘置とも極めて不当」と強調した。

札幌地検の長崎誠次席検事は「判決内容を検討して、結論を出したい」と話している。
                                        2007/02/16

名古屋市元局長ら無罪 清掃談合の競売入札妨害罪  

名古屋市発注の道路清掃事業をめぐる談合事件で、業者側に予定価格に近い金額を漏らしたとして、競売入札妨害罪に問われた市の元緑政土木局長村瀬勝美被告(60)と元道路部長長崎弘被告(54)の判決公判で、名古屋地裁(伊藤納裁判長)は16日、両被告に無罪を言い渡した。

判決理由で、伊藤裁判長は「予定価格を漏らしたことを、村瀬被告らに報告し、了承されたとする(有罪が確定した)市職員の供述は、客観的事実と整合せず、不自然で信用性に重大な疑問がある」と述べた。

求刑は村瀬被告が懲役2年、長崎被告が懲役1年10月だった。

両被告は「(予定価格漏えいの)共謀の認識はなく、部下からも報告は受けていなかった」と無罪を主張していた。
                                    
2007/02/16


いずれも、関係者の供述のみに頼った捜査で、警察、検察の捜査のあり方を問われなければならない事件である。
両事件とも、被告は被疑事実を否認し、無罪を主張していた。関係者の供述以外、確証がないにもかかわらず、安易に逮捕し、自白を強要して起訴に追い込むやり方が、冤罪を生む土壌になっている。


特に名古屋市発注事業をめぐる談合事件のように複数の者が関わる事件では、実際に犯行に関与していない者が関係者の虚偽の供述で犯人扱いにされてしまうことが現実には往々にして起こる。
捜査当局の抱いた疑念により、否認していても事実関係を詳しく調査せず、無実の者が
犯行に関与したように他の関係者の供述を、厳しい取調べを通じて都合よく引き出してしまうからである。

長年刑事裁判官を務めた渡部保夫氏も、極刑になる犯罪でも容疑者が容易にウソの自供をする可能性や実例を挙げる。
肉体的な拷問はなくても、孤立無援の密室内で、複数の取調官から長時間にわたって追及されると、疲労や緊張からの逃避、取調官への迎合など異常な心理状態に陥り、ウソの筋書きを作る、という仕組みだという。

容疑者本人でもそうだから、容疑者以外の関係者の証言は、虚偽供述が生まれやすい。

先ごろ、服役後に強姦の冤罪が判明した富山県の男性の事例を挙げるまでもなく、警察、検察は自白偏重の捜査を真摯に反省すべきである。
無罪判決を出すことを極度に嫌う体質にあって、果敢に判決を下した上記裁判官の正義と勇気に敬意を表するとともに、検察に対しては、見苦しい控訴を断念することを、切に要望
したい。

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清瀬の警官刺殺事件の時効に思う

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公訴時効の成立を、どのように考えればいいのだろうか。

逃げおおせた犯人は、捕らえられる怯えから解放され、安堵の胸をなでおろすことだろう。
一方、犯人を取り逃がした警察官の心境は、どうだろう。逮捕できなかった無念さはもちろんあるだろうが、手がかりの薄い事件にいつまでも引きずられることから解放される安堵感も、心のどこかにあるのではないだろうか。

だが、被害者やその遺族は違う。
殺人事件のような凶悪事件では、長い年月を経て時効が成立しても、心の安らぎは覚えない。むしろ、捜査が終了することにより、残された遺族の悔しさ、いたたまれなさは、募るばかりに違いない。

そして被害者には、犯罪による直接の被害者だけでなく、警察の捜査による被害者もいるという事実にも目を向けなければならない。

本日時効が成立した下記事件で、警察による捜査被害をかねてから訴えておられた方がいるhttp://blogs.yahoo.co.jp/taxi_yma



清瀬の警官刺殺が時効 拳銃の捜査継続

一九九二年二月、東京都清瀬市の警視庁東村山署旭が丘交番(当時派出所)で、大越晴美警部補=当時(42)、殉職で巡査長から特進=が刺殺され拳銃が奪われた事件は、十四日午前零時に時効を迎えた。警視庁は世田谷区の一家殺害事件、八王子市のスーパー強殺事件とともに三大重要未解決事件と位置付けて懸命の捜査を続けたが、目撃情報や現場の遺留品の少なさから難航し、犯人の逮捕はできなかった。

事件は、同年二月十四日午前三時十-十五分ごろ発生した。交番で一人で勤務していた大越警部補が首や胸を刃物で刺され殺害され、交番奥の待機室で倒れているところを新聞配達員が発見した。持っていた実弾五発入りの拳銃「38口径回転式スミスアンドウエッソン」のつりひもが刃物で切断され、ホルダーごと銃が奪われた。

警視庁は、現場周辺の素行不良者や、拳銃事件などの前歴者、大越警部補の仕事上の関係者などを幅広く捜査。最終的に土地勘を持つ拳銃マニアや、何らかの犯罪に拳銃を使用しようとした者の犯行だったとの見方を強めた。これまでに拳銃が使われた形跡はない。

十五年間に延べ約十三万八千人の捜査員が投入され、約三千百件の情報が寄せられた。二〇〇〇年二月に百万円の懸賞金が懸けられ、さらに〇二年二月からは三百万円に増額されていた。東村山署には十四日以降新たに連絡室が設置され、捜査員約十人が拳銃の発見に向けた捜査を継続する。
                             
2007.02.14東京新聞


「最終的に土地勘を持つ拳銃マニアや、何らかの犯罪に拳銃を使用しようとした者の犯行だったとの見方を強めた」ということで、殺害事件の当日に猟銃所持許可申請を出し、その後あるトラブルから猟銃所持許可を取り消されたことに疑いの目が向けられ、別件逮捕。

警察官から口では言えないほどの暴行、屈辱を受け、職も失い、世間からは冷たい目を注がれる。特別公務員暴行凌虐行為で告訴し、国家賠償訴訟を提起しても、組織力で潰される無念さ。


7年間にわたって蒙った甚大な精神的被害は、時効の成立によって癒されるものではない。真犯人が捕まって、無実が証明されなければ、失った時間と名誉は帰ってこないのである。

時効が成立するこの15年間に、おそらく、この方以外にも、警察による捜査被害を受けられた方がいるに違いない。このような被害者のことは、報道さえされず、救済の手が差し伸べられることも全くない。

犯罪の直接の被害者や遺族だけでなく、こうした捜査による被害者の方々が、声も上げずに苦しんでいる現実もあるのだということを、忘れてはならないと思う。

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多忙とブログの更新

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最近、仕事が忙しくて更新がおろそかになっている。
書くことがなくて更新できないのではなく、
書くひまがなくて更新できない。
書くこと、書きたいことは、いっぱいある。しかし、時間がない。

先週は鑑定業務の実査で、一週間ほとんど名古屋にいなかった。
遠方の仕事が重なって入ってきたためである。

朝5時に起きて、東京都の府中市、調布市、町田市、世田谷区の4物件の現地調査を一日で終わらせた後、翌々日には、2日がかりで静岡市、浜松市の評価対象物件の現地を12ケ所周ってきた。
更にその翌日には、朝5時30分に起きて、中部国際空港へ行き、飛行機で大分空港に飛び立ち、ホーバーフェリーを乗り継いで大分市内の現地調査をおこなってきた。そして、その日の夜の大分空港発の飛行機で帰ってきたが、家に着いたのは11時過ぎというハードな日程であった。
途中、体調も壊して病院にも行っている。

世間は、昨日の土曜日から明日の月曜日まで連休のところが多いが、私は、昨日も今日も、一日中仕事である。
実査を終わらせた案件につき、休むことなく順次書類を作成しなければ納期に間に合わないから、もちろん、明日も仕事である。

しんどいよぉ~。

遠方への主張で楽しみなのは、行き帰りの新幹線や飛行機の中などでの飲酒と読書。
仕事に向かう行きの乗り物ではさすがに酒は飲まないが、帰りは酒を飲みながら本を読む。仕事を終わらせた充実感もあり、これがなんともいえない喜びである。

以前は、月に7、8冊ほど本を読んでいたが、最近は2、3冊しか読まなくなってしまっていた。ここ一週間は、遠方への主張のおかげで、じっくり本が読めて
充実した日々も送れた。

更新が滞っても、多くの人が訪問してくださるので、集中力を発揮してたまっている仕事を一気に片付け、できるだけ内容のある記事を、また小まめに提供していきたいと思っている。

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警察官の事件

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警察官による痴漢のニュースが相次いでいる。


千葉県警巡査、女子高校生痴漢で逮捕

千葉南署は7日、電車内で女子高校生に触ったとして、県迷惑防止条例違反(痴漢行為)の現行犯で、千葉県警君津署の交番勤務の巡査河野敏也容疑者(48=同県市原市光風台)を逮捕した。容疑を認めているという。

調べによると、河野容疑者は7日午前8時ごろ、走行中のJR内房線の上り電車内で、県内に住む高校2年の女子生徒(17)の背後からスカートの中に手を入れ、下半身を触った疑い。

生徒が河野容疑者の手をつかみ、JR蘇我駅の駅員を通じて千葉南署に引き渡した。河野容疑者は休日で、生徒は登校途中だった。

佐藤健一君津署長は「署員がこのような事案を起こし、誠に遺憾。被害者におわびするとともに再発防止に努めたい」としている。
                               2007年2月7日17時49分


先日1月31日にも、埼玉県警川越署が、電車内で女性を触ったとして、県迷惑行為防止条例違反(痴漢)の現行犯で同県狭山市入間川、警視庁第8方面交通機動隊の警部早川武容疑者(42)を逮捕したというニュースがあったばかりである。

但し、この早川容疑者は「やっていない。身に覚えがない」と容疑を否認しているということだから、実際にやったかどうかは明らかではない。

痴漢冤罪が多い世の中だけに、警察官といえども、いつ被害者にならないとも限らない。ますます人間が信じられない世の中になりつつあるようだ。

そんな世の中で起こった警察官がらみのもうひとつの事件。



警察官大声の制止むなし、女性すり抜ける…東武線事故


東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で6日夜、線路内に入り込んだ女性(39)と、救出しようとした警視庁板橋署常盤台交番勤務の宮本邦彦巡査部長(53)の2人が電車にはねられた事故で、一度は保護した女性が再び踏切内に入ろうとした際、宮本巡査部長は踏切の前で立ちはだかって止めようとしていたことが分かった。

Click here to find out more!直後に遮断機が上がったため、女性は人込みに紛れて踏切から線路内に入り込んでおり、同署で事故当時の状況を調べている。

同署によると、踏切近くの同交番にいた宮本巡査部長は、「踏切内に女性がいる」との通報を受け、この女性をいったん交番内に連れてきたが、女性が説得中にスキを見て飛び出し、踏切内に再び入ろうとした。

このため、宮本巡査部長は両手を広げ、「中に入るな」と大声を上げて女性の前に立ちはだかったところ、女性は「弁護士を呼ぶ」などと騒いで抵抗。

宮本巡査部長も「おれが悪者になってもいいから入るな」と食い下がったが、遮断機が上昇し、女性は踏切待ちの通行人とともに宮本巡査部長の脇をすり抜けて、踏切内に入り込んだ。

宮本巡査部長は依然、意識不明の状態という。
                         2007年2月7日15時8分  読売新聞
 

わが身の危険も省みず、職務を全うして被害に遭遇した痛ましい事件である。
仕事に対する責任感も強かったのだろうが、人の命の大切さを思う気持ちも、人一倍強かったのだろう。

日頃、権力を背景とする非人間的な警察組織の体質を厳しく批判している私だが、警察官個人には尊敬できる人が多いこともよくわかっているつもりである。
容態が一日も早く回復されんことを祈るとともに、宮本巡査部長の勇気と責任
感あふれた行動に、こころより敬意を表したい。

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役人の不正に甘い体質

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役人個人の不祥事は処罰しても、役人の組織ぐるみの犯罪は処罰したためしがない。下の者の不祥事でも、それが上の者の責任に及ぶような場合には、不正そのものを、隠蔽ないしは不問にしてしまう体質が役所には染み付いている。
次の二つの記事が、それを如実に物語っている。



服役の男性無実 富山県警は関係者「処分しない」


02年に強姦(ごうかん)容疑などで逮捕され実刑判決を受けた富山県内の男性(39)が服役後に無実とわかった冤罪問題で、富山県警は31日、現時点では当時の捜査関係者を処分しない方針を明らかにした。

記者会見で、当時の捜査について、岸田憲夫警務部長は「故意または重過失ではない。現時点では処分を行うという方針は取っていない」と述べた。安村隆司県警本部長は「組織一丸となって二度とこのようなことが起こらぬようにしたい」と話した。
                                                                            2007年2月1日



「故意または重過失ではない」と言っているが、どうみても、故意または故意に近い過失に見えるのではないか。

故意や重過失でなければ責任を問わないというのであれば、役人の不祥事などほとんど責任を問えないことになってしまう。
この論理で行けば、業務上過失致死傷や傷害致死なども処分なしということになるのではないか。

犯罪者には風当たりの強い世間も、こういった役人の不正には極めて甘いのが不思議でならない。
権力を背景とする強いお上には借りてきた猫のように大人しいが、弱い立場の者に対しては執拗に強くなる浅ましい根性の表れか。



「夫の急死、誤認逮捕が原因」妻が三重県を提訴

三重県四日市市のスーパーで2004年2月、同市内の男性=当時(68)=が、泥棒と間違われて逮捕され翌日に死亡したのは、警察署員の誤認逮捕と違法な取り押さえが原因として、男性の妻(66)が1日、県に5717万円の損害賠償を求める訴訟を津地裁に起こした。三重県警は、事件の全容解明まで誤認逮捕は認められないとしており、遺族が捜査のミスを問うことになった。

男性は04年2月17日午後1時10分ごろ、ジャスコ四日市尾平店の現金自動預払機(ATM)コーナーで、後ろからぶつかってきた子ども連れの若い女性に「泥棒」と叫ばれ、付近の客に取り押さえられた。

身柄を引き受けた四日市南署員が窃盗未遂の現行犯で逮捕。男性を後ろ手で手錠し20分間、床に押しつけたところ、嘔吐(おうと)して意識を失い、翌日、高度のストレスによる高血圧性心不全で死亡した。

訴状によると遺族側は、署員には身柄を受けた際、男性の現行犯逮捕が正当か判断する義務があったのにそれを怠り、小柄で高齢な男性に対して必要な限度を超える違法な取り押さえを続けたとして、署員の過失を主張した。

また、身柄を引き受けた時に抵抗していた男性が、取り押さえ中に意識を失ったことから、署員の過失と男性の死亡に因果関係があるとした。

防犯ビデオの映像などから、男性が盗みをした事実は確認できなかった。

しかし、「泥棒」と叫んだ女性はすぐに現場を立ち去り、行方が分からないままで、県警はこの女性から話を聴くまでは全容解明できないとしている。
                             
2007年2月2日


これも、悲惨な事件である。
犯人と間違えられた誤認逮捕による死亡であるが、警察がミスを認めないため、遺族としてはやむにやまれぬ手段を取ったということだろう。

学校でのいじめによる生徒の自殺で、教師を自殺にまで追い込んだり、犯罪者の家族まで死に追いやるほど追い詰めたりする世間やマスコミも、警察や検察等の権力者の犯罪には、むちゃくちゃ甘い。


弱い立場の者は労わり、強い立場を利用して悪いことをする人間には敢然と戦う気持ちを忘れてはならないと思う。

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冤罪による服役男性への謝罪と自白の真相

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1月19日に強姦の冤罪で服役した男性の無実が判明したニュースがあったが、その男性がなぜ無実の罪を自白するに至ったのか。


富山県警誤認逮捕の男性「身内が認めたと迫られ自白」

富山県警が2002年、同県氷見市の男性(39)を婦女暴行容疑などで誤認逮捕した冤罪(えんざい)事件で、男性が読売新聞の取材に、無実の罪を自白するに至った経緯を初めて語った。

男性によると、取り調べは、任意同行を求められた02年4月8日から始まり、「『身内の者が間違いないと言っている』と何度も告げられ、やっていないと言っても信用されるわけがないと思った。言われるままに認めざるを得ない状況だった」と話した。その上で、「身内までも僕のことを信用していないんだと思った。気が抜けたようになってしまった」と語った。男性は3回目の聴取で自白に追い込まれた。

さらに、「『うん』か『はい』以外に言うな。『いいえ』という言葉を使うなと言われた」とし、「今からいう言葉を一切覆しません」とする念書も書かされ、署名、指印させられたとも語った。被害者宅に押し入った手口も「酒屋を装って電話をかけたんじゃないかと言われ、同意させられた」とした。
                   1月26日16時59分読売新聞


『身内の者が間違いないと言っている』と何度も告げられ、さらに、「『うん』か『はい』以外に言うな。『いいえ』という言葉を使うなと言われた」とし、「今からいう言葉を一切覆しません」とする念書も書かされ、署名、指印させられた、という。

これは、不当な取調べというより、違法な取調べであり、刑法第193条の職権濫用罪に該当する犯罪行為というべきである。
そのような犯罪行為に対するけじめは、どうするのか。


<えん罪強姦>県警本部長、男性に直接謝罪 就職先紹介も

富山県警が強姦(ごうかん)容疑などで逮捕した男性(39)が服役後に無実と分かった問題で、県警の安村隆司本部長と小林勉刑事部長が今月26日、男性に直接謝罪し、就職先の紹介など生活支援をする意向を伝えていたことが分かった。小林刑事部長は「組織としてのけじめ」としている。県警は捜査幹部が23日にも男性に謝罪している。

事件は県内で02年1~3月に発生。男性は任意の事情聴取に容疑を否認したが、その後、認めたため逮捕された。公判でも起訴事実を認め、同年11月に懲役3年の実刑判決を受け、05年1月に仮出所した。ところが、別の強姦未遂容疑で逮捕された男が昨年11月、この件も自らが行ったと供述し、今月19日に再逮捕された。                 
                           1月28日19時46分 毎日新聞



県警の本部長と刑事部長が、男性に直接謝罪し、就職先の紹介など生活支援をする意向を伝えたという。これが警察の「組織としてのけじめ」らしい。

はあ。
あきれてものが言えない。

就職先の紹介などの、などが何を指すのかわからないが、その程度の生活支援で済まそうとする神経が理解できない。

通常は、まず、直接取調べに当たった者は訴追する。
次に、県警の本部長と刑事部長は役職を解く。その上で、男性が服役した期間に相当する、社会での得られた収入分を、公費ではなく、自費で補填させる。

そのようにしても、その男性の失った時間は戻らないのである。本人にしてみれば、カネより時間を返せと言いたいところだろう。

なお、ついでに言えば、その男性を起訴した検察官や有罪判決を下した裁判官等の謝罪は一切報じられていないが、知らぬそぶりの半兵衛では、この半兵衛が許しませぬぞ!!

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植草氏保釈、東京高裁が検察側の抗告棄却

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犯行を否認する者に対しては、厳しい取調べや嫌がらせで何が何でも自白を迫る。それでも自白しない者に対しては、厳しい仕打ちが待っている。

服役男性の無実が判明した衝撃のニュースが3日前に報道されたばかりだが、検察は全く反省していないことが、よく現れている。植草氏の保釈を認めた地裁の決定に対して、今回またもや検察は抗告していたからである。

もともと逃走のおそれはなく、被害者や目撃者も何の面識もない見ず知らずの相手だから、関係者に働きかけて証拠隠滅を図るおそれも全くなかった。
それを、約4カ月にわたって不当な勾留を続けてきた挙句、違法な取調べの実態が明らかになった責任を感ずるどころか、この期に及んでも、抗告して嫌がらせをしようとしたのである。

否認すると、こうなるぞ、という見せしめであるが、こういったやり方が冤罪の土壌になっていることを、決して忘れてはならない。
幸い今回は、東京高裁もさすがに良心の呵責を覚えたのか。


電車内で女子高校生の体を触ったとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われた元大学教授、植草一秀被告(46)について、東京高裁は22日、保釈を認めた東京地裁決定を支持し、検察側の抗告を棄却する決定をした。
保釈保証金は600万円。同被告は同日午後、東京・小菅の東京拘置所を出た。

起訴状によると、植草被告は昨年9月13日夜、京浜急行線の下り電車内で、女子高校生の下半身を触るなどしたとされる。同被告は公判で無罪を主張している。東京地裁は今月19日、保釈を認める決定をしたが、検察側が抗告したため、執行が停止されていた。
                                                      (2007年1月22日) 日本経済新聞


何はさておき、悪夢のような身体の拘束から解放された朗報に、ひとまずお喜び申し上げたい。

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服役男性の無実判明

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ひどい話である。

確たる証拠がないのに、自白に追い込んで容疑者を逮捕し、無実の罪で3年近くも服役させるとは。
真犯人が自供したから無実が判明したが、真犯人が出なかったら、濡れ衣を晴らすことも適わなかっただろう。
謝れば済むという問題ではない。


富山県警は19日、02年に起きた強姦(ごうかん)事件などで懲役3年の実刑判決を受けて2年9カ月服役した富山県の男性(39)が無実だったと明らかにした。県警は同日、この事件の容疑を認めた松江市西川津町、無職大津英一容疑者(51)=別の強姦罪などで公判中=を強姦容疑などで再逮捕。富山地検高岡支部は男性の裁判のやり直しのため、富山地裁高岡支部に再審請求する。

県警は02年4月に、当時氷見市内でタクシー運転手をしていた男性を強姦未遂などの疑いで逮捕、翌月に別の強姦容疑で再逮捕した。男性は起訴され、同年11月に懲役3年の判決を受けて確定。一昨年1月に仮出所した。

県警によると、目撃証言をもとに作成した似顔絵や被害者の証言などから、この男性が浮上。男性は逮捕前の2日間の任意の取り調べに容疑を否認していたが、3日目に容疑を認めたため、客観的な証拠がないまま逮捕した。男性は公判中も一貫して罪を認めていたという。

しかし、昨年11月中旬、強制わいせつ容疑などで逮捕された大津容疑者が富山県内の2事件についても「自分がやった」と供述。事件現場に残された靴跡が大津容疑者のものと一致したほか、1件は男性宅からの電話の発信時刻と犯行時刻が近く、物理的に男性の犯行は難しいことが新たに判明したという。

県警によると、2件の事件現場にあった靴跡は、男性の靴のサイズより大きかったという。

小林勉・県警刑事部長は「足跡については当時は疑問に思わなかった。男性の逮捕は客観的証拠が得られておらず、裏付け捜査が不十分だった。重く受け止め再発防止に努めたい」と話した。

佐野仁志・富山地検次席検事は「様々な証拠を総合的に判断して起訴したが、振り返ってみると、男性を犯人と特定する客観的な証拠はなかった。基本に忠実な捜査を怠り、客観的な証拠に対する問題意識が足りなかった」と話した。

県警によると、男性の現在の所在は分からず家族に謝罪したという。

                          2007年01月19日20時56分asahi.com


任意の取り調べに2日間容疑を否認していたが、3日目に容疑を認めたため逮捕したということだが、容疑を認めなければ何日でも厳しい取調べが続けられたものと想像できる。
この男性は、いくら否認しても、被疑者の言うことなど全く信用しようとしない警察や検察の体質に絶望したのだろう。

人を人として扱わぬ厳しい取調べは私も経験したし、無実でもその厳しい取調べや嫌がらせに耐えきれず罪を認めてしまう現実は、留置場で私と同部屋にいたU氏の実例
で実感している。

実際にやっていなくても、警察や検察相手に無実を貫くことは並大抵のことではない。そのことを、この事件はよく物語っている。

取調べの関係者や警察、検察の責任者は、謝罪や法定の賠償程度ではなく、その男性と同じように3年間刑務所にぶち込んで反省させねばなるまい。


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愛知県知事選に関して

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2月4日の愛知県知事選に向け、自民、公明両党が推薦する現職の神田真秋知事(55)を支援するため、自民党総裁の安倍晋三首相が4日、名古屋市で財界トップらに選挙協力を直接要請することが分かった。

地方選では総裁が現地入りして応援しないことを原則にしている自民としては異例の対応。
民主党は、石田芳弘・前犬山市長(61)の支援のため、小沢一郎代表が積極的に愛知入りすることにしており、知事選は今月18日の告示を前に、中央政界を巻き込んで過熱してきた。

自民は、自民、公明対民主の枠組みで主要政党が激突し、32年ぶりの分裂選挙となる知事選を、夏の参院選の前哨戦と位置づけ、重点選挙として全力を挙げる方針を決めている。
                                     1月4日中日新聞

愛知県知事選が、自民、公明対民主の全面対決の様相を帯びてきた。
そこで、今回は、私と愛知県との全面戦争にまで発展しかけた下級役人の横暴の実態を書いてみたい。


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愛国心:その4(パート2

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愛国心:その4に関して再度ひろさんの反論があったので、意見を述べたい。
<愛国心の強制に関して>
NHKの受信料の例は、罰則がなくても、法律や社会のしきたりは強制力を持つことがあるという例であげたのだが、いつのまにか受信料の徴収方法や未払い者の同義的な問題等の議論になってしまっている。

ひろさんの反論は、方向がずれていくので、要点をしぼっ
て議論したい。
罰則と法律の強制力との関係、および罰則がなければ法律の制定を安易に認めてもよいかどうかという点である。

まず、
「それでも、受信料未払いはかなりの割合で存在しているわけで、これはやっぱり罰則のない法律は実質的な強制力が無い、ということではないでしょうか」
と、受信料の未払いがかなりの割合で存在している事実のみを捉えて、罰則のない法律は強制力がないと結論付けている。

しかし、先にも述べたように、法律の強制力云々は、罰則いかんにかかわらず民事面で強制執行が行われるから、事実上強制力が付与されている。
強制力の強弱はあるかもしれないが、それは、罰則が定められていても、その軽重により強制力に違いがでてくるのと同じようなものである。
この点をまず見落としている。

次に、現実に法律を守らない者がいる事実のみを取り上げて、それは罰則がないからその法律は強制力がないという単純なものでもないと思う。
たとえば、
受信料未払いがかなりの割合で存在する→法律に罰則がない→法律の実質的な強制力はない。
という理論だと、
交通違反の反則金等の未払いがかなりの割合で存在する→法律に罰則がある→法律の実質的な強制力はないのかあるのか。
刑法違反(殺人、窃盗)が毎日のように報道される→法律に罰則がある→刑法の実質的な強制力はないのかあるのか。
というおかしな展開に発展する。

また、
「日本国憲法は法律上は一番強制力があるわけですが、罰則が無いため、憲法のみでは違反しても処罰されることがありませんから、事実上、強制力は発揮されませんよね」
というくだりにいたっては何をかいわんやである。

ひろさんは、言葉尻にこだわって物事の本質を理解していないように
思われる。
法律に罰則がなければ強制ではないか否かという議論より、罰則がないから強制ではないという理屈で、安易に法律の制定を認めることが重要な問題なのである。

「そこで、今回改正された教育基本法を考えてみると、やっぱり罰則はないわけです。
そして、教育基本法に違反したからといって一般の大人や生徒達が処罰されるような罰則は、他の法律にもありませんよね。ですから、この教育基本法が国民に対して実質的な強制力がない、と自分は思うわけです」
という主張は、強制力がないから改正教育基本法も国民に押し付けることにはならないから賛成だ、という考えだと思う。
事実、<教育基本法改正で思うこと・・・1>で、その点について賛成していた。

そうだとすると、憲法で徴兵制や核保有を認めても、憲法には罰則がなく、強制ではないから是認できるということになる。
罰則は下部法で制定されるので、そのときに反対すればいいなどと思っていても、上部法で認められた事項が、下部法で認められない理由はなく、少々の反対では阻止できないことになってしまう。
しかも、基本法のような上部の法律なら、国民も関心を持って反対もできるのだが、下部法ともなると、おびただしい数にのぼるため、制定や改正に対する賛成、反対の意見どころか、法律そのものの存在さえ大多数の国民は知らないのが現実である。
国民の知らない間にどんどん改正されていってしまうのだ。

そもそも、何の強制力もない法律を、政府与党が、時間と費用をかけ、野党や多くの国民の反対を押し切ってまで、わざわざ成立させるだろうか。
その意図を読まねばなるまい。

条文の文言が美しいから法律を作っただけだと思いますと、ひろさんは考えるのだろうか。
改正教育基本法の条文に賛成するのは勝手だが、それに反対する国民も、賛成者と同数以上にいるのである。

多くの反対がありながら、条文の内容がいい、罰則がないから強制ではない、などいう理屈で、反対意見を十分聞くことなく、安易に法律を是認するようなことだけは、やめてもらいたい

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愛国心:その4(パート1

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愛国心に関する私の記事に関して、ひろさんという方が「教育基本法改正で思うこと3で反論しておられた。見過ごせない点がいくつかあったので、以下順を追って再度反論したい。


1.愛国心教育の是非に関して
「それに、政府にTMでだますような行為があったから法律の内容自体が駄目だ、ということではないわけです。
じゃあ何で政府はTMでそういうことをやったのかと言えば官僚などの政府側の人間が、手続きにおいて面倒なことは起こしたくないと、ただ余計な手間を省きたかっただけだと自分は思うのです。
そういう国民をだます行為自体は処罰・改善されるべきですが、悪いことをする奴が考えた法案だから、その法案の内容も悪い、というわけではないのです」

これは、結果オーライを是認する発言であるが、これを認めると、議会制民主主義は根底から崩壊する。
手続きを無視しても結果がよければよいとは、恐れ入った考えである。

被疑者、被告人にとって有利な法律になっていないといわれる現行の刑事訴訟法でさえ、手続きを無視した起訴は、実際に犯行を行っていたことが明らかであっても、無罪にしかできない。
法律というのは、手続きを無視して定めることのできないものであり、法治国家で、手続きよりも結果を重視する国など、私は聞いたことがない。

2.愛国心の強制に関して
ここの部分の反論に関しては、ひろさんは、何をいわんとしているのか、その趣旨がよくわからなかった。

まず、
「当たり前ですが今回の教育基本法は、背いたからと言って何か罰則とか処分があるわけではありませんよね。
ですから学校が愛国心を教えても、それに従わない生徒がいた罰金とか、懲役とか、何かペナルティがあるわけではないですよね。これって国が子供達に心の内面を強制してることになるのでしょうか」
と、法律で定めても、罰則等がなければ強制ではないと、最初主張していたのが、

「法律はもともと国民の行動や権利を、守ったり保証したり、あるいは逆に制限したり、拘束したり、強制するためのものだと思います」
と、今回は法律の強制力を認める主張になっている。

法律の強制力は罰則等のペナルテイのみの観点から判断するのはどうかということで、罰則の規定のないNHKの受信料等の例を挙げたのだが、その反論についても、趣旨が全くわからない。

「NHKの受信料は国民全員が払わなければいけません。仮に法律が無くても、NHKの番組が見られるという提供されたサービスに対価として料金を支払うということは、常識的に考えても別におかしなことではないと思います。物を買うときにお金を払うのと同じことです」
と、法律の規定がなくても、財貨、サービスの提供に対しては、当然その対価を支払う義務があるかのように断定している。

そうだとすると、公園や一般道路を使用した場合の対価や、救急車を利用した場合の対価も当然支払わなければならないことになり、各市が提供する公共サービスのうち、市道の利用対価と水道の利用対価の有償無償の違いも、説明できなくなるのではないだろうか。

「それに対して、現実のように受信料を支払うことを法律で定められても未払いの人は困っても、きちんと支払っている常識ある人は困ることは何もありません。
ですが、実際には一時ニュースになるほど、滞納・未払いをしている世帯がかなりの割合で存在しています。いくら法律上では拘束力を持っていたとしても事実上、とても強制と言える状態とは思えません。
だからこそ、NHKは民事手続きによる支払い督促などをして支払いを徹底させようとしているんだと思います」
とも述べているが、法律上拘束力があっても、現実は強制と言える状態ではない、ということが、法律の強制力と何の関係があるというのか。
民事手続きによる支払い督促の例も持ち出しているが、民事で強制執行が認められるのは、罰則いかんにかかわらず法律に強制力を認めているからである。

さらに、わかりやすい例を挙げれば、憲法である。
憲法には罰則規定がない。しかしだからといって、憲法に強制力はないなどと考える者は1人もいないだろう。
憲法に罰則規定はなくても、強制力はあるから、それに適う形で罰則規定を盛り込んだ下部法が制定されるのだ。

もう一つ、例を挙げれば請願法である。
憲法第16条には、国民の請願する権利が認められている。
その権利を行使するに当たっての手続きや、請願が行われた場合の官公署の対応等がその請願法には定められているが、この法律にも罰則の規程がない。
ひろさんの理論によると、罰則の規程がないから強制ではなく、請願が行われても、関係官公署は何の処理を行わなくてもよいということになってしまう。

国家権力にとって、まことに都合のよい解釈である。そのような身勝手な解釈で、20数件にも及ぶ私の請願を無視し続けたのか。そう考えると、そのような理屈は絶対に許すことができない。


法律で規定するということは、罰則いかんにかかわらず、強制力を持たせるということである。
                                           続く

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名張毒ぶどう酒事件に関して:その2

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異議審では、犯行に使われた毒物と奥西死刑囚が自白した農薬は違うとする弁護側の鑑定結果の評価が大きな争点となった。

そもそも、鑑定というものは、鑑定する人間によって結果が全く異なってくるという性質がある。
数学の計算式のように、誰が鑑定しても同じ結果が出るものであれば、わざわざ専門家に鑑定させる必要もない。専門家の高度な知識、経験、判断力に委ねなければわからない事項だからこそ、鑑定が必要になるのである。

では、専門家の高度な知識、経験、判断力が全く同じ水準ならば、同じ結果が出るかといえば、そうでもない。水準が全く同じでも、それらが良心に従って正しく駆使されるかどうかが重要であり、その良心いかんによって鑑定結果が全く異なってくるからである。
良心に従い、誠実にこれを行わなければならないという倫理的要請が不動産鑑定士に強く求められているのも、このような理由による。

たとえば、市や県(国も同じ)が公共用地の買収を行う場合には、相場より高く買い、市有地や県有地を売却する場合には、相場より低く売っている。
民間の感覚では逆だが、役所の場合は、自分のお金ではないから、面倒なことは金で解決する傾向が強い。
土地を買収する場合は、骨の折れる地権者との用地交渉を嫌がり、買収価格を吊り上げて土地を高く買うのである。土地を売る場合は、面倒な営業努力をせずに早く売るため安く売ってしまうのだ。

しかし、建前上は適正な価格で売買しなければならないことになっているので、自分たちの意向に合う鑑定評価書を添付して審議会を通している。
つまり、役所にとっては、自分たちの責任逃れのために、鑑定評価書を利用しているに過ぎないのだ。
従って、役所に提出されたものは、役所の意向に適った鑑定評価書だけであり、その内容が適正だから役所が採用したというわけではない。
公平で適正な評価額に頑なに拘る鑑定士は、必要とされない。役所に提出された時点で、役所の意向が反映された鑑定評価であると見て間違いないのである。

裁判における鑑定も、本質は全く同じである。
検察側の鑑定は、検察側の意向の反映された鑑定であり、弁護側の鑑定は、弁護側の意向の反映された鑑定である。意図に反する鑑定は表に出されることはないのである。

しかし、もっとも問題なのは、そのように異なった鑑定結果が出された場合、どの鑑定が正しいか、鑑定内容に全くの素人である裁判官では、正確に判断ができないということである。

先の例でも、役所の意向の反映された鑑定評価書が、公平さを欠く偏ったものかどうかは、素人には判断できない。

鑑定評価書に採用する取引事例ひとつとっても、現実には高い取引価格の事例もあれば、低い価格のそれもある。
鑑定評価書に採用する取引事例は現実に取引されたすべての取引事例を採用するわけではなく、その中の一部の事例を採用するだけである。
高い評価額を出す場合は高い価格の取引事例を採用し、低い評価額を出す場合は、低い取引事例を採用して形式を整えるので、鑑定評価書上からは、矛盾がなかなか露呈しない。

それが不当かどうかは、多くの取引事例に熟知し、価格形成の要因、過程を正確に分析できるだけの専門的な知識、能力がなければならない。

従って、裁判官も、異なる鑑定結果がある場合、いずれの鑑定が正しいか正確には判断できず、どれを採用するかは、裁判官個人の独断による。
職業的な信条や、置かれている立場からの思惑だけで結論を出すことが多いのだ。

原決定(名古屋高裁の再審開始決定)で、
「薬物に関する新証拠(鑑定など)に基づき、ニッカリンTであれば当然検出されるはずの物質(トリエチルピロホスフェート)が飲み残しのブドウ酒から検出されておらず、犯行に使用された農薬はニッカリンTではない可能性が高い」
としたのを、 異議審で、
「新証拠の鑑定内容を詳細に検討すると、混入されたのがニッカリンTであってもトリエチルピロホスフェートが検出されないこともあり得ると判断され、使用された農薬がニッカリンTでないとはいえない」
とし、
「毒物は有機燐(りん)テップ製剤であることが判明しており、有機燐テップ製剤であるニッカリンTが使用された可能性は十分に存する」
としたのは、鑑定結果を正確に判断したのではなく、異議審のそういった裁判官個人の独断で判断されたに過ぎないのである。

「混入されたのがニッカリンTであってもトリエチルピロホスフェートが検出されないこともあり得る」
と判断する以上、
「混入されたのがニッカリンTであれば、トリエチルピロホスフェートが検出されることが多い」
と判断しなければならないし、
「使用された農薬がニッカリンTでないとはいえない」
という以上、
「使用された農薬がニッカリンTであるともいえない」
という結論になるのである。

また、
「原決定は、新証拠(鑑定など)に基づき、証拠物の四つ足替栓は本件ブドウ酒瓶のものではない可能性があるというが、本件の瓶に装着されていたものに間違いない」
とも言っているが、確かな根拠を示さず、自分が見ていたような言い方をしている。
このようないいかげんな判断で、1人の人間の命を奪ってもいいのだろうか。

自白の信憑性についての判断も、まったくいい加減である。
三角関係の清算が動機であれば、二人の女性と楽しむ男が、自暴自棄に等しい妻や愛人を含む5人の命まで奪う行動に出るだろうか。三角関係の清算なら、妻か愛人のどちらか一人だけを始末するのが普通である。
それに、三角関係で一番悩むのは妻である。自暴自棄になった妻が自らの命も含めて清算行為に及び、毒物を混入するという無差別殺人を行ったのではないか。

奥西死刑囚は、いったんはその真実を語ったが、浮気という自分の責任で妻を死にまで追いやった悔悟の念から、死んだ妻の名誉を考えて自分がやったと自白してしまったのではないだろうか。
当然、起こる疑問である。

「奥西には妻と愛人を殺害する動機となり得る状況があったこと、犯行を自白する前には明らかに虚偽の供述で亡くなった自分の妻を犯人に仕立て上げようとしていることが認められる」
とか、
「自らが極刑となることが予想される重大犯罪について進んでうその自白をするとは考えられない」
などと決めつけるのは、まさに、人情に疎い世間知らずの石頭裁判官の机上論に過ぎないのである。

「疑わしきは被告人の利益に」という原則を拠りどころにすれば、今回の再審開始決定の取り消しは、不当以外の何ものでもない。


 

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名張毒ぶどう酒事件に関して:その1

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三重県名張市で1961年、女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、死刑判決が確定した奥西勝・元被告(80)の再審開始決定に対する異議審で、名古屋高裁(門野博裁判長)は26日、検察側の異議を認め、昨年4月に同高裁が認めた再審開始の決定と死刑執行の停止を取り消した。
無罪へとつながる再審開始の是非をめぐり、同じ名古屋高裁が全く反対の判断を示すという異例の事態に、弁護側は決定を不服として特別抗告の方針を表明。審理は最高裁で続くことになる。
決定理由で、門野裁判長は「新旧証拠を検討しても、奥西元被告が犯行を行ったと十分認定することができ、自白の信用性も高い。確定判決の事実認定に合理的な疑問は生じない。(再審開始を認めた)決定は誤っている」と述べた。

まさか、という決定である。
一度認めた再審開始決定を、同じ名古屋高裁が取り消すとは。
奥西元被告の年齢とこれまでの勾留期間を考慮すると、公権力による著しい人権侵害に、激しい怒りを禁じ得ない。

この「名張毒ぶどう酒事件」の弁護団には、私の知人の弁護士もかなり以前から加わっており、他人事とは思えない事件であった。
しかも、決定を取り消した門野博裁判長は、私の控訴審判決で一審の有罪判決を破棄しながら、控訴審での検察による訴因変更を認めて有罪判決を下した、いわくの裁判長である。

「名張毒ぶどう酒事件」では、農薬の混入されたぶどう酒の王冠の歯型が、犯行を裏付ける唯一の物証とされ、その鑑定結果をめぐって一審は無罪、二審以降は、逆転の有罪死刑判決となっている。
その後の再審請求で、弁護団は王冠の新たな鑑定結果などを提出し、今回の第七次再審請求でも、ぶどう酒の開栓実験や農薬の成分鑑定などを新証拠に提出していた。

その結果、名古屋高裁は弁護団の主張をほぼ受け入れて一度は再審開始を決定したが、検察の申し立てによる異議審でそれが取り消されてしまったのである。

本事件では、鑑定結果が非常に重要な証拠になっており、異議審でも弁護側の鑑定結果の評価が大きな争点となったので、ジャンルは違うものの、同じ鑑定士という立場から、鑑定についての実態をまじえて意見を述べてみたい。
                                          以下続く

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愛国心:その3

〈はじめてのかたは、トップページもお読み下さい〉

愛国心に関する私の記事に関して、ひろさんという方が「自分が書きたいことを書くブログ」
http://diary.jp.aol.com/wtxgjv9kdqpd/26.htmlで異見を述べておられたので、再度取り上げてみたい。

一、愛国心教育の是非
ひろさんは、
「自分が半兵衛さんのブログを読んで感じたことは愛国心を学校が教えたり評価すると国が定めることがそれほどいけない事なのかどうか、ということです」
と、述べておられるが、まず、私は愛国心を学校で教えることがいけないとは一言も述べていない。
愛国心は、強行した教育基本法改正に関連して取り上げたのであり、愛国心を前面に出した改正が、どのような目的でなされたか、ということを問題にしたのである。

学校での愛国心教育の是非については、いろいろな問題があり、簡単に結論の出るようなものではないので、国民をだますようなやり方で慌てて改正してまで教育基本法に盛り込まなければならなかったのか、ということで述べたのであるが、この機会にその是非についての考えを、はっきりさせたい。
以下、順次反論しながら意見をのべる。

二、愛国心の強制
「当たり前ですが今回の教育基本法は、背いたからと言って何か罰則とか処分があるわけではありませんよね。ですから学校が愛国心を教えても、それに従わない生徒がいたら罰金とか、懲役とか、何かペナルティがあるわけではないですよね。これって国が子供達に心の内面を強制してることになるのでしょうか」
と、ひろさんは述べておられるが、強制ということを罰金や懲役等のペナルティのみの観点から捉えるのはどうかと思う。

たとえば、NHKの放送受信料は法律で受信契約を義務付けてはいるものの、罰則の規程はない。罰則の規程がなくてもそれなりに強制力を持っており、ほとんどの人は受信料を支払っている。
また、いじめに加担しなければ、何々の罰を与えるというはっきりした懲罰の取り決めがなくても、加担しなければ何らかの不利益が自分に及びそうだという雰囲気があれば、それだけで罰則以上の強制力を持ってくる。

特に、行政の現場では、はっきり規定された罰則で処分されることのほうが、むしろ少ないのが実態である。
私も経験したことだが、役所が気に入らない業者から仕事を取り上げる場合は、本人から仕事を辞退させるという陰湿な方法をとる。本人が辞退を拒めば、所属する業界団体に圧力をかけて無理やり辞退させるのである。規則に違反していないから、指定業者から外されないなどと思ったら大きな間違いである。
愛人と官舎に住んでいた本間政府税調会長にしても、規則違反の罰則で処分されたわけではなく、周りの圧力で自分の意思に反して辞任せざるをえなくなったのだ。

このように、罰則や処分が決められていないから、強制ではないとはいえないのである。

三、愛国心の評価
「それに自分は学校が愛国心を評価をすることはいけない、とは思いません。なぜなら、心の問題を指導・評価するのも義務教育の一環として必要だと思うからです」
と、ひろさんは述べ、更に、学校における理科の実験の取り組みや、その他の課題授業の取り組みの姿勢、意欲等を例に挙げ、「関心・意欲・態度」の欄ですでに内面の評価がなされており、愛国心だけが、なぜ、学校教育において評価対象としてはいけないのか、と疑問を投げる。

しかし、課題授業の取り組み等における「関心・意欲・態度」等の評価は、あくまでも、理科の実験のように、ある目的を達成する過程において現れた外面の現象を評価しているのであって、心の内面そのものを評価しているわけではない。愛国心が理科の実験のような課題授業の取り組み等と同様に論ずることができないのは、達成しようとする目的がはっきりしないからである。

国旗を揚げるとか、君が代を歌うとかいう目的を掲げ、それに取り組む「関心・意欲・態度」等を評価するのであれば、わざわざ教育基本法という法律に盛り込むことでもなかろう。
それらは、愛国心とは関係のないことであり、式典における国旗掲揚の際の態度や国歌を歌うときの態度いかんは、本来、生活態度等の常識の問題だからである。

四、愛国心の欠如
「愛国心や公共心などを軽視しがちな今の現状があって、それは良くないから明確に国の方針として法文化して、学校で教える事にしましょう、ということだと思うのです」
と、ひろさんは述べておられるが、そもそも今の日本人に愛国心がないと断定できるのだろうか。

学校の行事によく参加される方なら当然気づいていると思われるが、どこの小中学校でも、入学式や卒業式等の行事で、国旗の掲揚を拒否したり、君が代の合唱を拒否したりする生徒は、ほとんど見かけないのが実情である。
私も、子供3人の学校行事に何度か出席したが、そのような光景には、ついにただの一度もお目にかかったことがない。

国旗掲揚等を拒否するのは、思想的な問題にこだわる一部の教師だけであり、そういった報道の一部の例をことさら大げさに取り上げて、愛国心教育に結びつけているだけではないか。

また、国旗、国歌の絡む式典での態度がいいからといって、愛国心があるわけではない。同時に、国旗掲揚を拒否する教師に愛国心がないかといえば、そうでもない。
国を愛する気持ちは国旗掲揚を拒否する教師にもあるはずであり、漫然と国の方針に従っている無関心な国民より、そういった教師のほうがむしろ国を思う気持ちは強いのではないか。

オリンピックの競技等で、日本人であれば誰しも日本人選手を応援するだろう。それもひとつの、愛国心の現われといえるのではないだろうか。
愛国心が欠けているのではなく、愛国心を何と捉えるかという見解の違いであろう。

四、道徳教育との関係
「それに学校では道徳という心の内面を教育する科目があるではありませんか」
と、ひろさんは述べ、その道徳教育との関係で愛国心教育の正当性を訴える。

だが、道徳教育も、礼儀、あいさつ、助け合い、親切、親孝行といった外面に現れる現象との関係で、内面である心の持ち方を教育するものであり、外面に現れる現象がはっきりしない愛国心教育とは、本質を異にする。
愛国心は外面に現れるどのような現象との関係で評価し、教育するかということが、よくわからないのである。

先に述べた国旗、国歌の絡む式典時の態度で評価するのか、それとも、徴兵制に異議を述べず、積極的に戦地に赴く意欲・態度等で評価するのか。あるいは、政府に対する批判、賞賛の態度等で評価するのか。

まさか、政府に批判的でも、同一国民を愛する意欲・態度等が立派であれば高く評価されるなどと思っているお人よしはいないだろう。
愛国心の概念があいまいなため、それを運用する国側の都合のよいように利用される危険性が高いことは、以前述べたとおりである。

五、愛国心の比較
多くの日本人が外国人と比べて、一般的に愛国心が極端に劣っているとは思えない。
ただ、日本人が外国人と比べて大きく劣っていると思われる点もある。
それは、政府を信頼する気持ちと、戦争に参加しようとする意欲の二点である。

前者は、北朝鮮による拉致問題、中国
瀋陽市の日本総領事館への北朝鮮難民駆け込み事件の対応、信念のない自衛隊のイラク派遣政策等に対する国民の反応等で明らかである。
また後者は、本来命をかけて任務を全うするのが当たり前の仕事に就いている本職の自衛隊員でさえ、命の保障云々を持ち出してイラク派遣を嫌がっていたことでもわかる。

六、結論
「ですから、結局、前回にも書いたように、愛国心や公共心などを軽視しがちな今の現状があって、それは良くないから明確に国の方針として法文化して、学校で教える事にしましょう、ということだと思うのです。よって自分は、国が強制することになるからいけないこと、とは思わないわけです」
と、ひろさんは述べておられるが、以上検討したように、愛国心の法文化は、国の都合のよいように解釈した身勝手な理屈を国民に強制してくる事態につながる危険性が非常に高いため、安易にそれを認めてはならない。

愛国心教育が必要なのは、子供たちではなく、国民に信頼されていない政府自身である。
戦前の我が国における愛国心教育の失敗例を、もう一度かみしめる必要があるのではないだろう
か。

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植草一秀氏の公判に思う

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12月20日植草一秀氏の第二回目の公判があった。
当日の目撃者の証人尋問に関しては、すでにいくつかのブログで疑問点が指摘されているので、重複を避け、私は次の二点だけ指摘したい。

第一に、利害関係のない目撃者が他人の裁判の証人として出てきたことの不自然さである。

通常、事件当事者と全く関係のない第三者が裁判の証言台に立つことなどありえない。当事者とよほど深い関係がなければ、証人として裁判に出ることなど考えられないのである。

最近は、空き巣や器物損壊等の被害にあっても、警察は隣家への聞き込みを一切しない。被害者がいくら強く求めても、警察は頑なにそれを拒否する。
聞き込みをしても、かかわりを嫌って情報の提供を拒む上、仮に情報が得られても、証人として証言してくれることは100%ないからだという。
変に追及すると、犯人扱いにされたといって、名誉毀損で逆に訴えられることもあるからだともいうのである。

私自身、仕事の関係で警察官とはよく接触するが、知人の警察官も、情報不足をいつも嘆いている。
昔は、犯罪情報が市民から警察に多く寄せられたものだが、最近は、全く情報が入ってこないという。無関心で、自分に何らかの危害、不利益が及ぶのを極端に嫌う風潮が強く、どこの警察署も情報不足で困っているという。
それほど人々は、自分に関係のないことにかかわりを持つことを嫌がるのだ。

鑑定人として裁判の証人になる機会の多い私たち不動産鑑定士でさえ、証人として証言台に立ちたがる者は1人もいない。
訴訟関連の鑑定では、いかに証人として呼ばれないようにするかということに注意を払って価格や賃料を決めている傾向が強いし、信託銀行や大手の鑑定会社では、証人として呼ばれた場合の時間やわずらわしさによる採算面で訴訟関連の仕事の依頼は、最初から拒否しているところも多い。

刑事裁判の訴訟ともなれば、公判当日の時間だけでなく、事前の準備段階における時間的な負担も多く、証言内容によっては、偽証罪で告訴、告発される危険性もある。何のメリットもない微罪事件でわざわざ証言台に立つ者など、現実には一人もいないといっていい。

以上のような現実から判断すると、証人の証言内容以前に、今回の公判における目撃者が全くの第三者で、ほんとうに事件を目撃していたのかどうか、大きな疑問を抱かざるを得ないのである。

せめて反対尋問で、証人である目撃者を追及して、職業、事件当日の行動、行き先等を明らかにしてほしかったという思いが残る。

第二に、被害者の
下着が証拠として提出されているという点である。
強姦事件ならばともかく、通常、痴漢程度の微罪事件で、被害者の下着が証拠保全されることなどありえない。
被害者の心理状態からみても不自然だし、警察の捜査方針からみても不自
然である。

女性の下着というものは、すぐに洗濯する性質のものであるから、それが証拠保全されるということは、被疑者が犯行を強く否認することが事前に予測できなければならないし、被害女性の確固たる協力が事前に期待できなければならない。

被疑者である植草氏が犯行を強く否認することが事前に予測でき、被害女性の確固たる協力が事前に期待できたということが何を意味するか、わざわざ私が言わなくても、その答えは明らかだろう。

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植草一秀氏のメッセージに関して

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先日の控訴審判決で、罰金という有罪ながらも、不当な一審判決が破棄され、事実認定で私の主張がほぼ全面的に認められた。
一審の裁判状況の説明も途中であり、控訴審の罰金刑に対しても、上告したため刑事裁判もまだ終わっていない状況では
ある。
しかし、ひとつの区切りがつき、
当面それほど急ぐ理由もなくなったので、これからは、私個人の無実だけでなく、他の冤罪と思われる事件にも、積極的に取り組んで不当性を訴えていきたい。

まず、植草一秀氏。
一昨日、AAA植草一秀氏を応援するブログ管理者の方から、次のトラックバックをいただいた。植草氏と同じような立場にある者として、ここに紹介してひと言意見を述べたい。

植草一秀氏より、応援して下さる皆様に感謝の気持ちでいっぱいであることを
是非お伝え下さいとメッセージをお預かりしましたので、お読みください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は偽り無く元気にしていますので、ご安心下さいませ。
皆様で楽しくクリスマスなどおすごし下さい。
私はここで一人ですが、時空を越えて素晴らしい人達と心でつながっているので、幸せな気持ちで満ちあふれています。

こうした幸せな心ですごせるのも皆様のお陰です。
本当にありがとう。

私が応援して下さる皆様に感謝の気持ちでいっぱいであること、
そしてとても心身ともに元気でいることを是非皆様にお伝え下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


植草氏は痴漢容疑ですでに98日も勾留されている。

不当な勾留である。
逃亡や罪証隠滅のおそれがなく、勾留理由がないにもかかわらず、公判の開始された現在に至っても、保釈さえ認められていない。
しかも、一旦裁判所が認めた保釈を、検察官の抗告によって2度も取り消されている。


役所というところは、一度決めたことはなかなか変えないものだ。
特に、権威にこだわる裁判所は、一度下した判決を翻すことはほとんどない。上級審でも、一度下された判決は極力尊重し、よほどのことがない限り、下級審の判決でも変更しない。

その裁判所が、2度までも保釈の裁判を変更しているのである。
普通では、考えられないことだ。それだけ、裁判所に権力側の圧力が強くかかっている証左であろう。


裁判所が容易に保釈を認めないのは、悪いことをやったのだから頭を冷やさせるという意味合いもあるのだろうが、被疑者や被告人にも基本的人権はある。それを守るのが、裁判所の本来の使命であろう。
ましてや、無実の疑いがあるような場合には、悲惨な人権侵害にも結びつくのだ。そのことを、わきまえねばなるまい。

裁判官対被告という立場にこだわるのではなく、同じ人間という立場に立って、人権を侵し続けている不当な勾留を一刻も早く解くことを、私は裁判官の良心に強く訴えたい。

また、マスコミには、警察や検察からの偏った情報だけを報道するのではなく、当該事件の真相をもっともよく知っている被疑者や被告人への取材も行って、その言い分も反映した公平な報道をすることを、切に求める。

前回の手鏡事件で、裁判所に向かう植草氏を追いかけながら、
「植草さ~ん、今日は手鏡持ってきてないんですか~」
と、マイクを向けて質問していた報道関係者がテレビに写っていたが、真相に迫る取材ではなく、こういう人権を考慮しない低俗な質問をするところに、今のマスコミの節操のない実態が現れている。

社会に与える影響の大きさと使命を、マスコミ関係者はもっと自覚すべきだろう。

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愛国心:その2

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コメントでも述べたように、愛国心の本質が何であるかというと、私も断定できるほど自信のある見解は持っていない。
愛国心というのは、心の問題であるから、愛国心の本質を語るのは、宗教の本質を語るのと、ある意味同じではないかと思う。それほど難しい問題だからである。
私がこうだと言えば、多くの賛成意見があるかもしれないが、同時にそれと同じぐらいの異論、反対意見も出てくるはずである。

私が、今回の教育基本法改正を批判した理由も、この点にある。
法律は手続きであるから、賛否両論のある内容の法律を、十分な審議をせずに、「やらせ」のタウンミーティングで国民を騙し、数の力でごり押しして成立させるようなやり方が、まず問題なのである。

たとえ、殺人のような凶悪事件でも、逮捕、起訴に至った手続き、証拠を押収した手続き等が違法であれば、その犯人が実際に犯行を行っていても、刑事訴訟法上、有罪にはできないのだ。それほど法律は、手続きを厳格視している。

愛国心が必要だという点では、多くの国民に異論はないはずである。国を愛することは美しいことであり、それ自体に異論を唱える者は、極めて少ないと思う。

ただ、愛国心の概念がはっきりしないのに、それを法律に盛り込んで、しかも数の力で慌てて改正しなければならなかったのか、ということである。
愛国心の概念がはっきりしなければ、それを運用する側に都合よく利用されるのは必然だ。

学校での愛国心教育について、安部首相はそれを成績として評価するという考えを述べていたが、愛国心は心の問題であるから、それを評価するとなると、内面の心の中まで立ち入らなければならなくなる。

心の中まで行政が立ち入ることが、はたして、許されるべきことかどうか。

たとえば、人を殺したいとか、人の物を盗りたいとか思っても、思っただけでは処罰されない。現代はどこの国家も、心の中まで法律で処罰するようなことはしていないのだ。
信仰の自由が認められているのも、同様に心の問題だからである。

学校で愛国心を成績評価するというのは、人の心の中まで縛るということである。
実際上は、心の中まで立ち入って評価できないから、外面の姿勢や態度で評価するしかない。そうなれば、国旗掲揚や君が代唱歌時の態度、国家的儀式や国家への忠誠心の態度等で判断されることになる。

どこの国でも、教育というものは、国の都合のよいように行われている。
国が目的なく、教育方針を定めたり変えたりすることなどありえない。今回、愛国心を前面に出した改正が、どのような目的でなされたか、ということである。

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とともに、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と謳っているが、愛国心をやたら叫ぶ人間ほど、愛国心に欠けており、他国を尊重せず、攻撃的な言動をする傾向が強いことを憂慮して、改正に踏み切ったのか。


それとも、一等地の豪華な官舎に愛人と入居して血税を食いつぶす本間正明政府税調会長のように、政府与党関係者の愛国心のなさを憂いて、美しい国づくりのために改正に踏み切ったのか。
あるいは、憲法を改正して軍事力を強化するための布石として、急いで改正に踏み切ったのか。

改正教育基本法の成立した過程を客観的に考察すれば、その答えは自ずから明らかではないだろうか。

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愛国心:その1

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15日の教育基本法改正を批判するという当ブログ記事で、次のようなコメントをいただいた。


>土地を指すのであれば、土地を所有していない者は、愛情を感じないだろうし
愛情を感じるための前提が所有することだとは、まったくかわいそうな人だ。あなたは他の人間を所有することはできないのだから、あなたは他の人間に愛情を感じることができないことになる。
人を愛することさえできない人が「愛国心の本質を、全く理解していない」というのは興味深い現象だ。
ところで仰るところの愛国心の本質とはなんなのだろうか。ご教授願えれば幸いだ。

これに対して、私は次のようなコメントを返した。


コメントありがとうございます。
ご指摘のとおり、私の言葉に一部不十分な表現がありましたので、ご説明させていただきます。
「土地を所有していない者は、愛情を感じないだろうし」というのは、あくまでも一般的なことを述べただけです。
私の仕事は、土地とは切っても切れない関係にあり、仕事柄、土地にせよ建物にせよ、所有者に比べて賃借人等は、土地建物そのものに愛着を感じない傾向が強いことは、日頃実感しているところです。
土地に限らず、他人の所有物より自分の所有物に、より愛情を感じるのは、一般的な人間の傾向ではないでしょうか。私が述べたのは、その程度のことに過ぎないのです。
従って、私が「愛情を感じるための前提が所有することだ」と断言しているようにおっしゃるのは、全くの誤解だということです。
愛情の本質は、もちろん、所有云々ではありません。好きになった異性を自分のものにしようとか、他国を植民地にしようとかいう所有の概念を持ち出すこと自体が、本来悲劇の始まりである現実を考えれば、愛情の本質が、所有云々でないことだけは確かだと思います。

愛国心の本質が何であるかということですが、私も断定できるほど自信のある見解は持っていません。
しかし、少なくても、国旗を掲揚したり、国歌を歌ったりすることだけが愛国心の本質でないことだけは確かです。また、学校の成績で人間の心の問題である愛国心を評価するというのも、おかしな話ではないでしょうか。
愛国心というと、とかく感情的になりがちで、本質を見失いやすい性質であるからこそ、もっと議論が尽くされなければならなかったのです。
「やらせ」のタウンミーティングで国民を騙したり、十分な論議もせず、多数の力で自分たちの主張をごり押ししたりするような政府に、愛国心があるのでしょうか。

愛国心を持ち出した政府与党に、私の方こそ、愛国心の本質をご教授願いた
い心境です。

15日に成立した改正教育基本法は、「教育の目標」(二条)に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」との表現で、「愛国心」の理念が盛り込まれている。

愛国心が前面に押し出されているので、それについて、一言述べてみたい。

続きは午後に。

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警察の泥棒化

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警察の泥棒化が進行している。

神奈川県警は15日、勤務中に民家から現金を盗んだとして鎌倉署地域課の巡査長・望月賢治容疑者(38)を窃盗と住居侵入容疑で、また架空の事件の捜査関係事項照会書を作って女性の個人情報を入手したとして茅ケ崎署警務課の巡査部長・渡辺恒憲容疑者(49)を虚偽有印公文書作成、同行使容疑でそれぞれ逮捕した。

12日には、神奈川県警港北署地域課の巡査長(36)が、同署が廃棄する予定で保管していた放置自転車を無断使用中に、神奈川署員に職務質問されていたことが分かり、県警監察官室は、巡査長を不問にした港北、神奈川両署長に窃盗容疑での捜査を指示したというニュースがあった。

また、先月19日には、窃盗未遂事件の証拠品の現金約7万5000円を着服したとして、同県警の瀬谷署元警部補(59)が業務上横領容疑で逮捕されたばかりでもある。

いずれも神奈川県警ではあるが、こういった警察官による不祥事は、同県警に限ったことではない。神奈川県警の場合、何かと問題になったため、警察内部で握りつぶせなくなって、表ざたになっただけだろう。

犯罪事件は、通常、警察回りの事件記者が、警察からの情報のみで記事を書いている。被害者や被疑者への取材は、よほどの場合でなければ行われない。つまり、100%警察の情報に頼っていると言っていい。
従って、出入している警察の意向に反して新聞記事を書くようなことをすれば、出入禁止になって、その後のニュースが得られなくなる。警察官の不祥事がなかなか表ざたにならないのは、こうした事情による。

だから、明るみに出ないだけで、他県の警察でも、同じように不祥事が頻繁に起こっていると見て、まず間違いあるまい。

以前、当ブログでも書いたことだが、私の場合も、泥棒のような被害にあった。
愛知県中警察に逮捕され、東警察署に勾留されていた1ケ月の間に、財布の中に入れていたクレジットカードが、スキミングされていたのである。
幸い、私の場合は、起訴されてまもなく保釈が認められたため、被害を未然に防ぐことができたが、保釈が認められず実刑判決を受けてそのまま服役するような受刑者は、スキミングされたカードを散々使われて大きな損害を蒙ることにもなりかねない。
勾留中に、警察署に預けられていたクレジットカードがスキミングされるのであるから、今の警察は想像以上に腐っているとみて、まず間違いあるまい。

同15日、
捜査費の不適正支出問題で、警察庁と高知県警などは、当時の県警本部長ら計113人に対する処分を発表した。
不適正支出について県警は、協力者保護の目的や店名を忘れて確認を誤ったため、実際に利用した店とは別の店名を記載するなどした経理ミスが大半で、プール金や私的流用などはなかったと説明しているが、額面どおり信用できるものではない。

北海道警や愛媛県警等も裏金づくりを行って、警察幹部のヤミ手当や交際費、せんべつなどに不正支出していた実態が明らかになっているからである。

これらは、業務上横領や虚偽公文書作成、有印私文書偽造などの犯罪を構成するが、警察幹部が裏金づくりを指示し、責任者もそれを容認するという組織ぐるみの犯罪の上、公訴権を有する検察が警察と癒着しているから事件になっていないだけである。

いわば、税金泥棒であり、警察の泥棒化である。
しかも、一警察官の個人的な犯罪ではなく、警察全体の組織的な犯罪である。

与党が法案の成立を目指している共謀罪の適用団体(組織的な犯罪集団)に、日本の警察を、ぜひ含めなければならない。


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教育基本法改正を批判する

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教育基本法改正案が参院教育基本法特別委員会で、自民、公明両党の賛成多数で可決された。
タウンミーティングでの「やらせ」質問で激しい批判を浴びながらも、数の力で押し切った格好だ。

これで安倍内閣は、崩壊へ向けて大きな一歩を踏み出したといえるだろう。

教育基本法改正案の骨子に、
「公共の精神を尊び、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進」
と掲げられているが、公共の精神で臨まなければならない行政が、タウンミーティングで国民を欺く嘘まみれの「やらせ」を行っていたのだから、呆れてものが言えない。
また、
「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う 」
と、立派なことを言っているが、これは誰に対して言っているのか。

愛国心が一番欠如しているのは、今の子供たちではなく、安倍総理を筆頭とする与党の政治家や官僚どもではないのか。

愛国心と一言でいうが、愛国心とは一体何なのだ、という疑問がまず起こる。
国を愛する心ということはわかっても、その国が何を指すのか不明である。自分たちが住んでいる土地を指すのか、国民を指すのか、政府を指すのか、天皇を指すのか。

土地を指すのであれば、土地を所有していない者は、愛情を感じないだろうし、国民や政府を指すのであれば、その国民や政府が愛する対象となるだけの値打ちがあるかどうかによる。
いくら教育を施しても、対象となる大人や政府の役人、政治家たちが腐っていれば、子供たちに愛国心など育まれるものではないからである。

親が日常的に子供を虐待し、自分たちは遊びほうけて、子供の面倒を全くみないような家庭環境では、子供に親孝行をいくら説いても無理である。
今の日本人に愛国心が希薄なのは、上に立つ大人や政治家たちが腐敗して尊敬するに値しないからだろう。

数々の特権をむさぼり、国民の税金で優雅な生活を送っておきながら、国民には増税や各種の負担を情け容赦なく押し付ける。

教育というものは、元来非常に時間のかかるものであり、長い目で、根気よく続けていかなければ成果の出ないものである。
改正を急ぐような理由も見当たらず、十分な論議も尽くされていなかった。
「やらせ」のタウンミーティングで国民を騙したことが明らかになったばかりであるにもかかわらず、多数の力で自分たちの主張をごり押しするような政府を、一体誰が愛するというのだろうか。

以前、愛国心が身についたかどうかを成績として評価するのかという質問に、安倍首相は、「日本の伝統・文化を学ぶ姿勢や態度を評価対象とする」という考えも述べていたが、これなどは愛国心の本質を、全く理解していない回答である

こういう首相を持ったところに、今の日本人の不幸があるが、いつまでも国民を欺き通せると思ったら、大きな間違いだ。
最近、安部首相の支持率も下がっている。あんまり国民を見下していると、来年の参院選で、まず、手痛いしっぺ返しを食らうことを覚悟すべきだろう。

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小泉前総理の靖国参拝を斬る

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何かと話題になった小泉前総理の靖国参拝。
総理在任中、公人という立場のまま毎年靖国参拝を繰り返し、任期の満了を迎えた今年は、中韓の激しい批判、反発を受けながらも、終戦記念日である8月15日に参拝を断行した。
退任して下火になった今、その真意を私なりの視点で分析してみたい。

小泉前総理は、靖国参拝の理由を、先の大戦で戦没した多くの犠牲者に対する慰霊の念からだと何度も訴えていた。
今日の日本の平和は、勇敢に戦って戦死した多くの将兵や国民の犠牲によって成り立っているものであり、その英霊に拝礼することは、国の代表者として当然の義務である、と一貫して主張していた。

将兵の戦死や国民の犠牲が、今日の日本の平和に関係があるのかどうか甚だ疑問だが、その主張には一応頷けるものがある。

だが、それは表向きの理由であり、真意は別のところにある、と私は見ていた。
戦死者に対する彼の慰霊心はもともと希薄であり、靖国参拝は、あくまでも政治的な道具として利用したに過ぎないという見方である。

政治的な道具とは、彼が唯一執念を燃やした、郵政民営化実現のためということである。

小泉前総理は弱小派閥だから、自民党内での基盤は脆弱であった。その脆弱な基盤のもとで郵政民営化の妨げとなる強力な反対勢力に対抗するには、国民の強い支持が必要である。
彼は、この国民の強固な支持を得る手段として、靖国参拝を利用したのではないだろうか。

過日、NHKのテレビで、第2次世界大戦時の最も悲劇的な戦いと言われる「硫黄島の戦い」で生き残った人の特集を見た。
その人たちは、みな自分が生き残ったことに、強い後ろめたさを持っていた。戦争を起こしたのは、彼らの責任ではない。
が、ほとんどの兵士が戦死しながら、自分が生き残ってしまったことに強い慙愧の念を抱いている。
ともに戦って戦死した部下や戦友を慰霊するため、毎朝、水を備えて手を合わせる生き方をしていた。戦死者の英霊を慰霊することだけが、彼らの残された人生の生き方だったのである。

戦死した多くの将兵や犠牲者になった国民の慰霊のためと言いながら、小泉前総理は、年に一、二回靖国神社に参拝しただけである。官邸に登庁する前や休日にも、毎日のようにひっそり拝礼していたというわけではない。
ほんとうに、戦没者の慰霊を思うものならば、宗教心の薄い初詣程度の回数の参拝で終わるわけがないのである。
小泉前総理の慰霊心など、所詮その程度である。

公人の立場で靖国参拝を強行すれば、過去の歴史認識に固執する中国や韓国の激しい非難、反発が起こることは、当然予測できた。実は、彼の狙いは、ここにあったのだ。

中韓の激しい非難、反発が起こると、どうなるか。
中韓を怒らせ、日中、日韓の関係が悪化するのは我が国にとってよくないから、靖国参拝を控えるべきだという意見もあった。
しかし、見境のない激しい非難を繰り返す両国に、多くの国民は嫌悪感を感じ、逆に中韓に対して激しい敵対心を持つに至った。外の国に敵対心を持った国民は、激しい非難を浴びながらも超然として自説を曲げない自国の総理に頼もしさを覚え、彼を熱烈に支持するようになる。

実際、憲法的な見地から首相の靖国参拝に批判的だった私でさえ、内政干渉に等しい中韓のあまりの反発に、唾棄したくなるほどの嫌悪感を覚え、心の中で小泉前総理を応援したほどである。

古今東西、外に敵を作って国内の結束を図るという戦術は、権力者の常套手段になっている。国民の不満を外に向けるため、外圧を利用するのだ。何かと日本を槍玉に挙げる中韓や北朝鮮なども、そのくちである。

小泉前総理は、靖国参拝を利用して外圧を誘導し、それを国民の自分への熱烈な支持に結びつけた。その熱烈な国民の支持を背景に、念願の郵政民営化を実現させたのだ。

参議院の郵政法案の審議が否決されれば、衆院を解散し、
「改革なくして成長なし」
という馬鹿の一つ覚えのような題目を唱え、刺客を利用してまで郵政民営化を実現させたのだ。
郵政民営化のためなら何でも利用する彼が、靖国参拝を利用しないはずがない。

小泉前総理の靖国参拝も、歴代の総理と同じように憲法問題や外交問題の観点からのみ議論されていたが、そんな議論とはかけ離れたところに、希代の食わせ者である彼の真意が隠されていた、と見るのは、私一人ではあるまい。

もし、私の見方が、独断と偏見によるとんでもない間違いだったら----。

そのときは、

小泉さあ~ん、ごめんなさあ~い。

        

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巡査長が保管自転車を拝借

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巡査長が保管自転車を拝借 神奈川、不問の署長を処分へ   

神奈川県警港北署地域課の巡査長(36)が、同署が廃棄する予定で保管していた放置自転車を無断使用中に、神奈川署員に職務質問されていたことが12日、分かった。港北、神奈川両署長は巡査長を不問にしたが、県警監察官室は窃盗容疑での捜査を指示した。
県警は巡査長を同容疑で書類送検し、両署長を処分する方針。

監察官室によると、巡査長は10月19日、港北署が廃棄処分するまで一時保管していた放置自転車を無断で持ち出し、乗って帰宅。同月28日、横浜市神奈川区の自宅近くで、この自転車に乗っているところを神奈川署員に職務質問された。
巡査長は警察官であることを明かし「廃棄される予定の自転車を自宅に持ち帰った」と説明。神奈川署長は「廃棄物だから犯罪ではない」として立件しない方針を決めた。連絡を受けた港北署長も県警に報告しなかった。   

2006/12/12 10:31     北海道新聞
 
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神奈川署長と港北署長の対応における問題点は、次の2点。                                                                                                                                第一に、犯罪に該当しなかったのか、という点である。
放置自転車を警察が一時保管していても、従来の持主に所有権があることは、疑う余地がない。
持ち主が、所有権を放棄して自転車の廃棄を警察に委ねていたような場合なら別だが、持ち主が判明せず、廃棄処分するまでの一時保管の段階では、まだ他人の物である。他人の財物を摂取する行為は、刑法235条の窃盗罪に該当する。


神奈川署長は「廃棄物だから犯罪ではない」として立件しない方針を決めたそうだが、その放置自転車は、廃棄する予定で保管していたのであって、すでに廃棄処分されたわけではない。
身内をかばい、不祥事の発覚を恐れる、自己保身のためのずるい言葉のすり替えがある。

第二に、連絡を受けた港北署長も、県警に報告しなかったという点である。
仮に、神奈川署長のいうように「廃棄物だから犯罪ではない」として立件しないことが妥当だったとしても、警察官としてあるまじき行為であることにはかわりはない。


廃棄される自転車は、ぼろぼろで使い物にならない物ばかりではない。
持ち主が探し出せないために、やむなく廃棄処分にされるものもある。新品同様の程度のよいものであっても、面倒くさがって引き取りに来ない持ち主もいる。
それらの自転車を、廃棄予定だからといって、一警察官が勝手に私物化してよいものかどうか。

警察署に保管してある放置自転車を、廃棄予定だからといって一般の市民が勝手に持って行っても、警察は何ら問題にしないのか。
警察署長の良識を疑いたくなるような事件である。
            

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植草一秀氏の意見陳述書に思う

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12月6日に行われた第一回公判の植草一秀氏の意見陳述書を読んだ。
内容が事実だとすると、恐ろしいことである。国家権力に嵌められたことが明白だからだ。


当日、少し離れた場所で被害者と称する女性が騒いだ。かかわりを避け、そのまま目をつぶって立っていると、突然二人の男に左側とうしろ側を上半身が全く身動き出来ないような強烈な力で押さえられ、駅に着くと、そのまま駅事務室に一人だけ連れて行かれた。
その間、何度も「女性と話をさせてくれ」と言ったが無視され、
事件については何も聞かれることなく、警察署に連れて行かれたという。


何とも、不可解な話である。
私もこれまで、電車内での痴漢騒ぎには三度遭遇している。
いずれもまず、当事者間で、「触ったでしょう」「触ってない」というやり取りが何度も続く。
その後に、「しらばっくれるなら駅長室に来なさい」「おお、どこへでも行ったるわ」という会話になって駅長室へ二人で行ったというケースが二件。
「駅長室に来なさい」「何で行かないかん」という会話になって、疑われた男がそのまま女性の手を振り切るようにして、平然と立ち去ったというケースが一件である。

その間、誰も傍観するだけで、どちらの味方もしない。触ったかどうかなど、本人しかわからない。変にかかわって、自分に迷惑が及ぶのを嫌うからだろう。


植草氏の場合は、触った、触ってないという当事者の激しい会話がまずなかった。当事者の言い合いがないまま、第三者が体を取り押さえて、駅事務室へ連行している。
そして、何度も「女性と話をさせてくれ」と言ったが、二人の男は無視し、被害者と称する女性も現れなかったという。

女性が痴漢の被害にあったのであれば、まずやったと思われる本人に、いろいろ言いたいはずである。それが、電車の中で騒いだきり、忽然と姿を消してしまっている。

植草氏を二人の男が取り押さえた行為も、理解に苦しむ。
痴漢行為をいつまでもやめないため、女性が助けを求めたというわけではない。逆切れして、その女性に暴力を振るって暴れたから止めに入ったというのでもない。

騒ぎを聞きつけただけで、二人の男が手際よく取り押さえ、事情も聞かずに駅事務室へ直行するなど、現実には考えられない行動である。
そこには、あらかじめ仕組まれたという筋書きしか、見えないのだ。

誰に。
植草氏を煙たがっていた国家権力者たち以外には考えられない。

慰謝料目当ての不良グループであれば、警察に突き出す前に話し合いの場を設けて金の話をするはずである。いたずらや個人的な恨みで陥れるにしては、念が入りすぎている。
その後の警察、検察の対応からしても、国家等の組織的な犯行であることは、まず間違いあるまい。


国家権力は、自分たちに楯突く者には容赦しない。
最近では、マンションへのビラまきで住居侵入罪を適用して起訴したり、免許証の住所変更を怠っていただけで、免状不実記載で逮捕した例もある。
そして、一旦逮捕すると、無理やり自供させ、否認を続ければ、起訴していつまででも身柄を拘束する。供述調書も権力側の作文で、嘘の塊の全くデタラメなものである。

私の場合など、私の供述の信憑性を裏付ける多くの物的証拠がそろっていながら、権力側の証人二人の嘘の供述のみを信用できるとものとして、有罪に導かれたほどである。
一審の裁判官のデタラメな判決は、さすがに二審では破棄されたが、無罪にはならず、罰金に減刑されただけである。

それだけに、今回の植草氏の事件も、権力側が流すマスメディアの情報に惑わされてはならない。
権力に迎合する裁判所の判断ではなく、良識ある民の裁きに期待しなければならない事件ではないだろうか。

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植草元教授の保釈取消

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痴漢容疑で逮捕起訴された植草一秀氏の保釈が、またも検察側の抗告によって取り消された。
前回10月5日の保釈決定も、検察による準抗告によって取り消されているので、今回で2度目になる。

勾留が認められる要件は、
1. 被告人が定まった住居を有しないとき。
2. 被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。
3. 被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき
のいずれかであるが、植草氏は上記のいずれの要件にも該当しない。
該当しないにもかかわらず、もっともらしい屁理屈をつけて勾留を認めてしまうのが裁判所である。

保釈を取消した理由は定かではないが、おそらく2の罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるということだろう。
「被告人は犯行を否認し、本件犯行に至る経緯ないし犯行状況につき、本件被害者(及び目撃者)の供述内容等と相当程度異なった供述をしている状況にあるところ、これらの立証にあたっては供述証拠に頼ることの大きい事案であることなどに鑑みれば、公訴提起がなされた現段階においても、被告人が関係者に働きかけるなどして罪証を隠滅するおそれはなお否定できず、勾留の必要性を否定すべき特段の事情もない」
と、いうような理由になっているものと思われる。

保釈には厳しい保釈条件が付けられるのだから、今の植草氏にそれを認めても何ら問題はないはずである。

罪証隠滅のおそれがあるかないかは、勾留を認める裁判官が本来一番よくわかっているはずであるが、検察が異議を述べると、ほとんどの裁判官は、罪証隠滅のおそれという漠然とした理由を持ち出して保釈を却下してしまうのである。

我が国の刑事の裁判官は、節操がない。
検察等の国家権力に、惨めなほど弱い。逮捕状も勾留状も請求されれば、ほぼ100%発行するし、保釈も検察の顔色を窺って決定している。正義も信念も全くないのだ。
法の番人どころか、国家権力に加担し、検察と一緒になって人権を侵害する官庁である。

権力と争って否認を貫きながら1ケ月弱で保釈が認められた私の場合は例外中の例外で、私の弁護士も保釈が認められた際、
「いい裁判官に当たったよ」
と、しみじみ言っていたし、例のない早期の保釈に、名古屋地裁では有名になっていたほどである。
それほど裁判所は、当てにならないのだ。

植草氏の保釈も、この分では証拠調べが終わるまで認められない可能性が高い。長く勾留されれば、裁判の進行上も、被告人に不利となる。
それを狙っていることが見え見えなところに、本事件の真相を見る思いがする。

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石原都知事の3選出馬を斬る

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東京都の石原慎太郎知事が7日、来春の都知事選に3選を目指して出馬することを正式に表明した。

国会議員や知事というものは、一度やると、自分ではなかなか辞やめられないものらしい。

石原知事に関しては、
5日にも、東京都が2004年1月、スイス・ダボスで主催したパーティーの太鼓演奏に、石原慎太郎知事の四男が舞台背景の絵の制作者としてかかわり、旅費などが公費から支出されていたことが報道されたばかりである。
この支出額は、事前調査を含む2度の出張費と制作費の合計で約175万円にのぼり、これらは太鼓演奏家への業務委託費に上乗せする形になっていたという。


先月も、石原知事は海外出張の際、都条例の規定を大幅に超過する高級ホテルやク ルーザーに宿泊し、衆院議員時代からの秘書も、飛行機は知事と同じファーストクラスに格上げし ていたことが共産党都議団の調査で判明している。
石原都知事の規定額は総理大臣と同額だが、それを超えていた。


石原都知事はこれまでに計19回の海外出張をしており、記録が残っている過去5年の15回分で、同行職員分も合わせて出張費の総額は約2億4350万円に及んでいる。
都知事の宿泊費や交通費、日当は都条例で総理や最高裁長官と同額に定められており、例えばロンドンやワシントンなど大 都市では1泊4万200円だが、詳細な記録のある6回の出張では、石原知事の宿泊費は26万3000円~13万1500円で、規定の3.3~1.6倍だったそうだ。

はあ。

ため息が出る。

都知事選の3選出馬表明で、石原知事は、この8年間で手がけた財政再建などの実績を示していたが、贅沢な海外主張や子供に175万円も公費で使っておきながら財政再建の実績を強調できるとは、たいした人物である。

石原知事について、すべてを否定するわけではない。
彼のこれまでの言動、実績には、確かに評価できる面も多かった。
だが、政治家は、昔の名前で出てくるようになってはお終いである。過去はあくまで過去であり、現在および未来をどうするかということが、政治家に課せられた一番の使命であろう。

どんなものにでも、耐用年数というものがあり、それは、人間も同様である。石原慎太郎知事だけ例外というものでもない。
最近の言動を見ていると、彼は政治家として確実に耐用年数が経過している。
すでに、ポンコツになっているのだ。

贅沢な海外出張や、身内への公費支出についての追及に、
「知らないよ、事務局で聞いてくれ」
「事務方に任せている。たまたまリゾートで高くついた」
「手続き的に問題も違法も
ない、いかにも共産党らしい貧しい発想だ」
などと言っていたが、これこそ、年を取って頭の固くなった頑固な老人の、貧しい発想による意見以外の何ものでもない。

最高責任者だから、行政面で何か問題があがれば、自分が責任を持って調査し、対処すべきであり、手続き的に問題や違法がなければ、何をやってもいいというものでもない。

息子が立派な芸術家で、余人をもって替え難かったから使ったというのであれば、旅費などを公費から支出すべきではない。
「お前も40の大人なのだから、旅費や制作費ぐらい自腹を切れ」
「自腹が切れないほど貧しいのなら、俺が自腹を切ってやる」
というのが、けじめのある政治家の言うことであり、子供に対する本当の愛情表現であり、気遣いではないのか。
それがわからなくなったところに、耐用年数を経過した、身内びいきのただのポンコツ老人に成り下がった証がある。

市議会の議決を経て手続き的に全く問題がなくても、市が借り上げた料亭の女将が市長の愛人だったということで、背任罪で逮捕起訴され、実刑判決を受けている前和歌山市長の例もある。

あんまり調子に乗っていると、検察が動かないとも限らない。
地味なエリート集団である彼らは、政治家と違って、こんなことでしか優越感を味わえないのだから、なめていると痛い目にあうだろう。

自分で引き際を考えないと、福島、和歌山、宮崎に次ぐ知事の逮捕となり、最後はぼろぼろになって、過去の実績さえ評価されなくなってしまうということを、かみしめるべきだろう。

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ホリエモンを斬る

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ライブドア事件で証券取引法違反罪に問われている前社長堀江貴文被告が3日、テレビ朝日系「サンデープロジェクト」に生出演していた。

元取締役の宮内亮治被告について、次のように語っていた。
「彼の年収は二千数百万円で、僕が3000万円ぐらい。彼は扶養家族も多いし、愛人もいるし…ヘヘヘ。家も2つあるし結構、お金かかってるんだろうなと。僕より年収が低いのに、何であんな金回りがいいんだろうと思っていた」
「いいベンツに乗って、いい服も着てる。僕はスーパーで買ってきたような服を着てますけど。(私的流用は)これ以外にもあるんだもん。腹が立つというより、僕はかわいそうだと思った。そこまでして金が必要かなと」

うーむ。
これが仮にも、飛ぶ鳥を落とす勢いで多くの社員のトップに立っていたライブドアの社長の姿かと、あきれ返る。
逮捕後、かっての側近たちが皆一様に敵に回ったのも、頷けるというものである。
堀江被告にしてみれば、敵に回った側近たちが悪いのであって、自分は悪くないとでも思っているのだろう。

容疑を認めたことに対する批判だけなら許されるが、部下にあたる者の私生活まで暴露して非難するようではお終いである。それも、テレビというマスメディアを通じて行っているのだから、馬鹿につける薬がない、と言うべきだろう。

文句があったら、直接本人に言うべきである。
文句や悪口は、人やマスメディアを介して言うものではない。言っている自分が軽く見られるし、しこりが残る。名誉毀損で訴えられるおそれもある。

どんな事情があるにせよ、容疑をかけられて社員まで逮捕されるような事態を招いたのであれば、社長の不徳のいたすところであり、こと社員に対しては、謝罪して責任を負うのが社長の当然の責務である。

それを、周知になっていないプライバシーまでテレビで暴露して非難するとは、頭の構造が狂っているとしか言いようがない。
頭がいいと、いっとき世間は持ち上げていたが、こういう人間が本当の馬鹿である。利口な人間のすることではない。

宮内被告のことを、
「彼は部下ではなく、対等の関係にあった。彼もぼくのことを社長とは思ってなかった」
などと言っていたが、それが何の関係があるのだ。

だいたい、若者といっても、すでに34歳である。社長としての自覚もさることながら、大人としての自覚も全く出来上がっていない。
資産価値だけ成長させて、自分自身の人間性の成長をなおざりにしてきたからだろう。

ソニー買収の計画について、
「(買収)できる可能性はあった。ソニーを買収して世界一になって、その時点で(実業家を)辞めようと思っていた」
とも言っていたが、この言葉は、彼にとっては世界一の基準も、しょせん、金を尺度とする事業規模だけに着目していただけだということを、物語っている。

「腹が立つというより、僕はかわいそうだと思った。そこまでして金が必要かなと」
宮内被告について語った言葉を、そのまま堀江被告に返してあげなければならない。

時代の寵児といわれた男でさえこの程度だから、つくづくこの国には、人物がいないものだと、嘆かわしくなってくる。

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痴漢容疑で逮捕の高3「無罪」

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まずは昨日のニュースから。
 
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痴漢容疑で逮捕の高3「無罪」 東京家裁支部が不処分
2006年12月04日

電車内で痴漢をしたとして現行犯逮捕された東京都町田市の高校3年の少年(18)に対し、東京家裁八王子支部が「少年が痴漢をしたと認定できない」として、無罪に当たる不処分の決定をしていたことが分かった。久保田優奈裁判官は「供述調書は内容が一貫しておらず、捜査当局がでっち上げた可能性がある」と指摘した。

少年は、5月29日午前8時ごろ、学校に向かう電車内で突然、「この人、痴漢です」と、振り向いた女性(19)に指さされたという。
少年は警視庁成城署で、「認めなければ10日間、勾留(こうりゅう)され、学校には行けない」と言われたという。「10日も学校を休めば、痴漢で逮捕されたことも明らかになり、卒業できない。認めれば、釈放され、裁判所で処分を受けても学校には分からないだろう」。言われるまま、供述調書の作成に応じた。
父親は中学1年の時に病死しており、卒業して就職し、家計を助けたかった。一晩、留置所で拘束され、翌日、釈放された。母親(38)に「ドラマで見た取り調べと同じだった。悔しいけど退学になるよりマシだ」と伝えた。

審判で無実を主張した少年に対し、11月24日、東京家裁八王子支部は不処分の決定をした。
検察官の調書には、「被害者の女性が少年の手をつかんで『この人、痴漢です』と突き出した」とあったが、警察での少年の調書も被害者の調書も「少年を指さした」だった。また、両手で触ったとする調書と「手提げカバンを持っており、両手で交互に触った」とする調書が混在していた。

久保田裁判官は「調書は事実を記載したものではなく、捜査側が考案した内容である可能性が払拭(ふっしょく)できず、信用できない」と指摘。少年の供述の変遷についても、「卒業できないと言われて認めたが、その後、無罪を主張したという経緯は合理的で信用できる」として少年を不処分とした。

成城署の仲村鶴美副署長は「裁判所の決定文をまだ見ていないのでコメントは控えたい。適正に捜査したと考えている」と話した。

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この事件は、警察や検察が、日頃いかに人権を尊重していないかということを物語る事件である。

身柄を拘束された人間にとって、長期間の勾留と、仕事や学業への影響による社会的な抹殺を匂わされることは、肉体的な拷問と同じように応えるものである。
警察や検察は
、被疑者がほんとうに事件にかかわったかどうかより、目の前にいる被疑者をいかに落とすかということにのみ心血が注がれている。

警察での調書が、少年も被害者も「少年を指さした」となっていたのであれば、なぜ、検察官の調書に「被害者の女性が少年の手をつかんで『この人、痴漢です』と突き出した」と記載されるのか、理解に苦しむ。

所詮、検察官の調書は警察の調書の上塗りであるから、取調べの段階で、検察官は警察の調書をよく読んで内容を検討しているはずである。この段階で被害者の供述が警察での調書と違っていれば、少年の犯行を疑い、釈放すべきであって、そもそも審判に付すべきではないのである。
取調べの現場では、被疑者を人間と見ず、物としてしか見ていない証拠であろう。

供述内容の異なる警察と検察の調書を、わざわざ裁判所の審判に証拠として提出する検察官の愚かさにもあきれ返るが、成城署の仲村鶴美副署長の頭の悪いコメントにもあきれ果てる。
「裁判所の決定文をまだ見ていないのでコメントは控えたい」
というのであれば、
「適正に捜査したと考えている」
などと 、余計なことを言うなと言いたい。
コメントするのであれば、
「裁判所の決定文をまだ見ていないが、適正に捜査したかどうか慎重に調査して、しかるべく対応を厳粛に考えたい」
と言うべきだろう。


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国税職員のつぼ破損事件

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国税の職員は、他人のつぼを破損するのが仕事のようだ。

次の記事は、10月13日の中日新聞の夕刊記事。
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「査察で古美術損壊」
中電取引問題
中部電力の中国古美術品取引問題で、引責辞任した太田宏次元会長に中国の古陶磁器を販売した古美術商が名古屋国税局の査察を受けた際、係官に古美術品10点を壊されたとして、国に計1460万円の損害賠償を求める訴訟の第1回口頭弁論が13日、名古屋地裁(清水研一裁判官)であった。
国側は1点を壊した事実は認めたものの「損害の立証ができていない」として答弁書を提出。争う姿勢を示した。
訴えたのは名古屋市内で古美術品販売会社を経営する中国人女性と、販売を委託した中国の古美術商の2人。
訴状によると、2003年9月、係官は保管用の木箱から古美術品を取り出して点検確認する際、漢や唐の時代のつぼや人形といった陶磁器計10点を壊した。
原告側は10点の修理費計120万円と、破損で値打ちの下がった分に相当する計1340万円を損害賠償として求めている。
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下記は私に対する国税当局の犯罪行為。
①古賀税務職員の違法な税務調査の事実の隠蔽。
②違法な税務調査への抗議を潰すため、更なる違法な税務調査で報復。
③請願等の抗議を一切黙殺。
④名古屋中税務署の竹山孝財務事務官(特別国税調査官)が、つぼを破損して否認逃走。
⑤以上の事実を隠蔽し、その責任転嫁のため、虚偽の犯罪事実をでっち上げ、検察と結託して私を不当逮捕。

ちなみに、私も民事訴訟でつぼ代5万円の支払いを求めて勝訴したが、国側は4万円の担保を供託し仮執行宣言付判決の強制執行停止まで申し立てて、控訴してきた。
この5万円のつぼ代をめぐる控訴審に、私は、弁護士に着手金90万円を支払って応訴し、現在訴訟中である。
一審に続いて勝訴しても、金銭的には逆に損害を蒙るという非道なやり方を、国は国民の税金を使って平然と行っているのである。

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